漫画『日常』の連載が、まさかの再開、そして、
12月26日(月)に新刊が発売されるということが嬉しい反面、
そんな『日常』のセリフ「今生きている日常というのは、
奇跡の連続なのかもしれない」
ということを実感したのが、この週。
日常とは、奇跡、あるいは非日常の連続
普段は、生きていて実感することは少ないのかもしれないけれども、
実は、その日常は、本当に『奇跡』みたいな出来事の連続なんだなぁ。
と、ふと実感してしまって、そんな、「日常の一部が欠けてしまうかもしれない。」
ということを、リアルに想像してしまって、急に気分が落ち込んでしまったのです。
普段から、鬱との境界線上を、綱渡りみたいな精神状態で生きているがゆえ、
ふと、暗い闇に引きずり込まれると、
そのまま、辺りが真っ暗になったように思えてしまうのです。
もちろん、自分の頭の中のストーリーなだけであって、
現実は、そんなこと無いのだけれども、
自分にとっては、「日常」の一部が、これから全て無くなってしまうことが確定し、
その後の展開で、「今まで積み上げたものも、一緒に全部無くなってしまったら…」
と想像した時に、
思いの外、精神的にダメージを食らってしまって、
結果、食欲も無くなり、普段から、食べるスピードは早くないけれど、
余計に時間が掛かるようになり、睡眠時間にも影響が出始めてしまい…
この状態が、数ヶ月続いたら、精神科に行ったほうが良いやつだと、
そう思っている今。
言動と心の状態が、かけ離れている感じにはある程度慣れたつもりだったけれど、
冬も本格的に始まろうとしていて、環境的にも寒くなってきていて、
環境的な影響と合わせて、相当に辛さを感じている気がする。
漠然とした「不安」も、大きくなりそうで、本当に嫌。
ショパンのノクターンが、本当の意味で心に刺さる。
「不安」に対して出来ることなんて、限られているし、
結局の所、「今、どう生きるのか」を慎重に選ぶことしか出来ないのだけれど、
それでも、「不安」は、自分を蝕んでくる。
まず、そんな「不安」には、
自分で自分を「慰める」あるいは、「労る」ことが必要だと思う。
本を読んだっていい。自分にとって、大切なことのために時間を使ってみよう。
自分にとって、大切な「日常」が人間関係によるものだったら、
きちんと、丁寧に、相手に気持ちを伝えてみよう。
その漠然とした「不安」の正体は、
自分の頭の中で作り上げてしまったストーリーで、
現実にどうなるのかは、分からないのだから、
自分にとって、「最悪」の現実を回避するために、
一歩、「勇気」を出してみよう。
結局の所、こうやって、何かを書きながら、心の中を整理しないと、
「漠然とした不安」に押し潰されてしまうのかもしれない。
2022、サッカーワールドカップ、カタール大会において、
日本代表監督の森保一氏も、よく、試合中にメモを取る。
頭の中に出てきたアイデアは、いつの時代も、
急に頭の中に表れては、フッと消えてしまう。
表れた瞬間に、メモに残しておいて、後で振り返ることが、
どのような場面においても大切であることを、
実感しています。
まとめ:心の中は、まだ、まとまらない。
自分ではない誰かの心の中は、想像するしか無いけれど、
自分の心の中の声だけは、常に頭の中に響いている。
自分ではない誰かの声は、本人から聞かない限り聞こえないけれど、
自分の想像上の誰かの声は、ネガティブなものからポジティブなものまで、
常に言い争いをしている。
ここ数日は、ただただ、こんな風に頭の中はグチャグチャだし、
モチベーションなんてものは、皆無だし、
言ってしまえば、燃え尽き症候群みたいな感じなのだろうけれど、
燃え尽きて、真っ白な灰になってしまったような自分の心から、
不死鳥は生まれるのだろうか。
ただまあ、出来ることは限られると思う。
心が砕け散って、何も入れることが出来ない状態なら、
まずは、心の容器を作ることから始めないといけないし。
心の容器が傷ついて、修復しないといけないなら、
暫くは、修復に時間を掛けないといけないし。
心の状態が上がってくるまでは、最低限度のノルマを達成できたら、
自分を褒めてあげようと思う。
そう。ご褒美はどうしよう?
そろそろ、どんなご褒美を用意するかを考えても良いかもしれないなぁ。
そんな日々だった。
とりあえず、心の底から言えることは、
これまでの「日常」は本当にかけがえのないもので、
自分にとって大切な「糧」となっていたということ。
このことに関しては、本当に、感謝しかない。
「ありがとうございました。」
明日からも、「感謝」を忘れず、「日常」という名の奇跡みたいな時間を
大切に過ごそうと思う。
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