今週のテーマになるキーワードは、「効率化」だったと思う。
いや、他にもいろいろあったと思うけど、そこから派生した出来事が多かったから、
今週はこのテーマを基準に書き進めてみようと思う。
結局、先を読む力って何?
そう。よく、「先のことをよく考えて行動しなさい」と耳にするけれど、
「先のことをよく考える」ことが出来るなら、苦労はしないのでは?と思う。
さらに言うと、「先のことをよく考えて行動しなさい」と言っている本人が、
「先のこと」をよく考えて行動しているなら、そんな発言はしないのでは?とも思う。
何を言いたいかと言うと、結局「先のこと」を考えて行動出来る人は少ないのだろう。
ということ。「先のことをよく考えて行動しなさい」の発言の裏には、
「先のことをよく考えて、(周りに、特に、私に迷惑が掛からないように)行動しなさい」
という、自分勝手な思いが多少なりともあるのかもしれない。
ただ、「よく考える」ことの出来る人も世の中には一定数存在して、
「どうやって考えているのか」を教えます。といった類の書籍もある。
そう。こういう本。
考えることが得意な人にとっては、当たり前のことでも、
考えることが苦手な人にとっては、大変な作業。
それを、様々な書籍が教えてくれる。
書籍の話は置いておいて、
結局、「先を読む力」って何なのか。という話。
自分が考える「先を読む力」というのは、どういうものかというと、
まず、先を読むために、「情報」を集め、
次に、その「情報」を整理して、「考察」する。
「考察」の際に、どれだけの幅の「情報」を扱えるのか。
その、「情報」の幅が、いわゆる「先のこと」の可能性を提示している。
そんな気がする。
簡単に言うと、
自分の想像の中で、現在持っている情報を活用して、
ありとあらゆる現実的な「パラレルワールド」を行き来している。
そんな感覚。
世界観で言うと、プロ棋士の見ている世界観に近いような気がする。
過去に、羽生善治さんは、ある番組で、
プロ棋士は、何手先まで考えているのかとの質問に対し、
「5手先を3通りずつくらい。計200通りくらい」
と答えている。
つまり、かなり先のことを考えるのではなく、数手先のパラレルワールドを
行ったり来たりしていることが分かる。
そのパラレルワールドの広さが、読みの深さということになる。
パラレルワールドとか、「家庭教師ヒットマンREBORN!」のリング争奪編思い出すわ!とか、シュタインズ・ゲートかな?とか思うけど、どちらも懐かしい。
だいぶ話は逸れた気もするけれど、
言いたいことは、「先を読む」という言葉から、かなり先の未来を想像してしまうけれど、
本当に「先を読みたい」なら、現状に対するその後の展開に対して、
思考に幅を持たせる必要があるのではないかということ。
これが、「先を読む」の本質なのでは?と思う。
時々、目先のことで一喜一憂出来る人が羨ましくなる。
「先を読む」ということで、パラレルワールドを行ったり来たりしていると、
時々、現在地点を見失うこともある。
そんな時に、例えば、「ライブのチケットが当たった!」とか、
目先の嬉しいことにテンションが上っている人を見ると、能天気な人だなぁ。と
率直に思うこともある。そんな風に楽しい時を過ごせて羨ましい。とも。
羨ましいのだけれども、「そうなりたいか?」と問われると、そうでもない不思議。
きっと、自分の「テンション」と呼ばれる感情の起伏は、過去のどこかに置き忘れたのだろう。
なぜなら、公共の場で、感情のままに行動したり、
嫌なことに対しては怒鳴り散らす人に対して、
心の底から嫌悪感を抱いているからなのだろう。
特に、公共交通機関で、赤子とその親に向かって、「黙れ」的なことを言う人に対しては、
何も理解出来ない。「黙れ」ということを言う前に、「自分の感情を押さえつけては?」と。
相手の立場も何も考慮出来ていない人は、人ではない。とでも自分は思っているのかもしれない。
とりあえず、時と場合。TPOは大事。
あの人は先を読めていない!と不満を抱くのは当然か?
まぁ、よくある悩みの1つなのだと思う。
「あの人は全然ダメ。」とか、「何も管理出来てないじゃん!」とか。
根本を辿ると、あの人は、「先をパラレルワールド的に捉えられていない!」
という不満になるのだと思う。
では、その不満を、別の場所を選んでぶちまけることは、「良いこと」なのだろうか?
「良くはない」し、その場しのぎの対策くらいにしかならないと思うのだけれど、
「パラレルワールド的に先を読む」ということを基準に考えると、別の答えが出てくる。
それは、「そうやって不満を抱いているあなた自身は、先を読めているのだろうか?」
ということだ。
何が言いたいのかというと、「先を読めない人」がいることを想定に入れて
「パラレルワールド的に先を読む」ことが出来たなら、不満を抱かずに済むのでは?
ということ。
以外と、不満を抱いている人ですら、先を考えずに行動していることもあるし、
何なら、そんな不満を抱くなら、あなたは完璧に仕事やら何やら色々こなすのですか?と問うてみると、
存外、抜けていることもあるし、以外とその抜けが致命的なものもある。
結局の所、「先を読めていない人」も「先を読めていない人に対して不満を抱く人」も
どんぐりの背比べ。五十歩百歩。
根本では、両者とも「パラレルワールド的に先のことを考えること」が出来ていない。
けど、持ちつ持たれつ世界は回っている。
見せかけの平和を取り繕っているだけ。うん。スパイファミリーは面白い。
話を戻すと、不満を抱くくらいなら、自分の思考の幅、
「パラレルワールド的未来予測」の精度を向上させることに時間を割いたほうがまし。
という話。
結局の所、他人は変わらない。のだから、「他人に期待するだけ無駄」なのだと思う。
不満を抱くということは、「他者に期待している」ことの表れなのだろう。
そんな「他者への期待」なんてものは捨ててしまった方がましだと思う。
けど、だからといって、「自分に対して期待しすぎる」のもよくない。
自分的には、「他者への期待」以上に「自分への期待」は当てにならないと思っている。
「期を待つ」ことが無駄なのだろう。
いや、「期を待っているだけ」が無駄なのか。
「期を待つ」間に、出来る努力を積み重ねる。
信頼に足るのは、日々の積み重ね、努力だけ。
「人事を尽くして天命を待つ」のが理想か。緑間真太郎か。黒子のバスケか。
今週のまとめ
いろんなコミックスが途中顔を出してきたけれど、
結局の所、「効率化」は何処行った?って思ったので、最後にまとめ。
「効率化」は、「パラレルワールド的未来予想」の先にあるものだと思う。
望む結果を妨げる要素は、パラレルワールド的に散らばっていて、
それらを解決しなければ、結果は得られない。
「効率化」だってそう。
ありとあらゆる仮説検証の繰り返しから、最適解を導く。
その最適解を導く過程を、いかに効率よくこなすか。
この「仮説検証」の幅は、「パラレルワールド的」な思考の産物だと思う。
「効率化」をする鍵は、「パラレルワールド的思考」にあったか。
なんて結論に至ったのが、今週のまとめ。
ここまで書いて、ふと思う。
自分の周りに不満しか転がってないんだけど…
人生そんなものなのかねぇ。
いや、4月鬱ということにしておこう。
来月になったら5月病か。
4月。唐突に、小野小町の歌を思い出した。
「花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに」
長雨を見て気付いたか。
今の自分が嫌になる瞬間は、誰にでもあるみたいで。
約千年前の人物でもそう。今に生きる自分もそう。
同じ人間。考えることは案外同じ。
「今」という瞬間に没頭し続けることが出来れば、それが理想なのだろう。
自分の思考が、未来やら過去やらに、とっ散らかっている感じがする。
お願いだから「今」に戻ってきて〜!
「パラレルワールド」を行き来するのも大概にしないと、ストレス溜まるわ。
うん。明日からは気楽に過ごそう。
時間がある時に、散歩がてら桜でも見よう。
今も昔も、人が抱える悩みは同じ。
存外、心配することはないのかもしれない。
同じ桜が出る百人一首をもう一つ。
「久かたの 光のどけき 春の日に
静心なく 花の散るらむ」
桜の花びらは落ち着いていないかもしれないけれど、
自分の心は落ち着けたい。
のどかな、暖かな光に包まれたような一週間を過ごせたら、今週は幸せ。