2022 4/18~4/24 コミュニケーション能力≠伝える力だと思う話。

世の中の風潮で、よく、「新入社員には、コミュニケーション能力を求めます。」などと謳っているのを聞くけれど、この、「コミュニケーション能力」って何?ということを、改めて考えてさせられたのが今週だったので、今週のテーマは「コミュニケーション能力」についてです。

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人を嫌いになる原因とは?

どうしても、世の中で生きていくためには、他者との意思疎通というのは大切になるけれど、この、「意思疎通」が上手く行かなかったりすると、人を嫌いになる原因になったりすると思う。

ただ、それは、明確な原因でないようにも思える。もう少し丁寧に考えると、
Aさんが「意思疎通」をしようと思う。→Aさんが「何かを伝える」→それに対してBさんは「伝えられたことに対して考える」→結果、BさんはAさんを、好きになったり嫌いになったりする。

これらの段階を経ているのだろう。と思う。
さて、テーマである、「コミュニケーション能力」は、これらの段階のどの位置にあるのだろうか?

例えば、外交的な人は、誰かと意思疎通することが得意かもしれない。一方、内向的な人は、話し始めるまでに時間が掛かってしまうかもしれない。

「コミュニケーション能力」という言葉は、この、誰とでも気さくに話せる能力のことを指して使われているような感じがする。でも、この「誰とでも話せる能力」のことをコミュニケーション能力と呼ぶのは、なんとなく、違和感がある。

自分としては、「何かを伝える」時の能力が「コミュニケーション能力」であり、もっと細かく言うと、他者の気分を害さない「伝え方」が「コミュニケーション能力」に当たるのだろうと思う。だからこそ、伝え方に焦点が当たっている本もある。

きっと、人を嫌いになる原因は、「相手の伝え方」が自分を攻撃しているかのように受け取れるから、嫌悪感が募り、最終的にその人を嫌いになるのだろうと思う。もちろん、それだけでは無いけれど。

感情が浮き沈みする原因とは?

そうやって、社会生活を送っていると、やはり、どうしても、感情が浮き沈みしてしまうのは、仕方のないことなのだと思う。その大きな要因が、「伝え方」にあると考えてみる。

①伝える側がストレスを抱える場合。
・何度言っても相手に「伝わらない」ことが積もり積もって、ストレスを抱える。
・自分の意図が正しく伝わっていないことが重なって、ストレスを抱える。

他にもあるだろうけど、根本的には「伝わっていないこと」がストレスになりそう。

前者の場合は、「伝える側」にも、もしかしたら非がある可能性があるから、自分に置き換えると、「自分の伝え方を改善しよう。」と思える。改善しようと思わない人もいるから、やってられないけど。
後者の場合は、「伝え方」を試行錯誤して、どの伝え方なら伝わるのかを一つずつ確かめて、結果伝わらない。という時。これは、もうどうしようもない。自分と相手の持っている「常識」が異なっていると割り切るしかない。きっと一生分かり合うことは無い場合だと思っている。

いずれの場合においても、よくあるのは、伝わっていないことが分かった時に、「感情が乱れてしまう」ということだ。愚痴となって、何処かへ流れて行くのだろうけれど、何処かへ流れるまでの間、自分の感情が乱されているのは、気分が悪い。

また、そんな最悪な感情の中にいると、全く関係のない「別の人」に影響が出てしまうこともあるから、さらに悪循環。
そんな状態の中にいるときに、更に関係のない人から、「感情のコントロールが出来ないのは良くないと思う」的なことを言われたときには、もう、終了のお知らせ。
何もかも投げ捨てて3ヶ月くらい誰とも関わりたくなくなるやつ。
本当に放っておいてほしいよね。

②伝えられた側がストレスを抱える場合
・自分が攻撃されているのではないか。みたいな言葉使いを相手がしてくる時。
・「そんなつもりで言ったわけでは無い」と言われた時。
・相手の態度が明らかに攻撃的で、自分のことを良く思っていないことが分かる時。

など。挙げればきりがないのかもしれないけれど、本質を探ると、「相手の伝え方」が自分にとって好ましくない。そんな場合はストレスになると考えられる。「攻撃的」な人のそばにはもちろん近寄りたくない。「感情が乱れている人」もそう。

HSP気質な人からすると、特に自分もその気質があるから分かるけれど、「感情が乱れている人」のそばには本当に近寄りたくないのも確か。「その人」を中心に、オーラが漂っているような感覚があって、触れたら最後。自分のメンタルが殺られることが分かる。

HSP気質では無い人には、おそらく分からない感覚なのだろうけれど、イメージとしては、漫画『HUNTER×HUNTER』の念能力の一つ、円がある感じ。「感情が乱れている人」の円は、何ならピトーの円を目の前にしているような感じ。『HUNTER×HUNTER』を知らない人には更に伝わらないか。話を戻そう。

「伝える側」「伝えられる側」のどちらの立場にも身を置くからこそ、「伝え方」は大切だし、この伝え方を多少気をつけるだけでも、自分の心は落ち着けられる。

配慮が足りないと感じる原因

この「配慮」という言葉もまた、あまり良くないような気はする。
というのも、「〇〇という配慮はすべき」の〇〇に当てはまる「常識」は各世代の人間で異なるからだ。
もっと細かく言うなら、個々人でこの価値観は異なる。

「配慮」という言葉をもう少し砕いて、適切な表現に直すとなると、「相手の感情を害さない」になるのだろう。
平気で「他者の感情を害す」ような人間のなんと多い世の中か。世知辛い世の中だ。
つまるところ、「配慮が足りない」は「あの人は他者の感情を害している」と言い換える事ができる。…歩く公害か。はたまた、歩く災害か…
カタカナ語にはあまり直したくなかったけれど、これを一般にモラルハラスメントというのだろう。

兎にも角にも、この「相手の感情を害さない」表現を心掛けるだけでも、世の中は平和になるはず。たった一言でも、自分の感情を丁寧に伝えて、「だから〇〇してほしい。」といった感じの丁寧な依頼ができるなら、それは立派な「伝える力」なのだろう。

この「伝える力」は、外交的な人だろうと、内向的な人だろうと、持つべきスキルになるはずだ。これを端折って「コミュニケーションスキル」なんていうカタカナ語に直すから訳が解らなくなる。

この相手の感情を害することなく相手に「伝える力」のことを、世の中では、アサーションと言っている。またカタカナ語〜!
もう、適切な表現が日本語に無いなら、仕方ないと割り切ろう。

まとめ

「伝える力」に焦点を当ててみたけれども、これは、無口な人ほど身に付けておいたほうが良いスキルのような気がする。

無口だと、相手から誤解されることも多々あるはず。でも、無口がゆえ、伝える機会がかなり少ないのも確か。なら、その少ないチャンスで適切に自分の感情なり考えを、相手の感情を害することなく伝えることが大切になるはず。

無口=あまり人と関わりたくない、ということはあるけれど、最低限のコミュニケーションを望むこともあるはずだから、適切な伝え方は大事。

何より、自分が不快にならないようにするための「伝える力」を持っておく必要があると感じた週だった。

自分自身が改善できるように努力するのは自分次第でどうにでもなるけれど、
これが他者ともなると、自分の力なんて及ばない。

「他者が努力できていないのは、あなたのせいです。」と言われることの理不尽さたるや。

「他者が努力できていないのは、他者自身の問題です。」これが真理。

課題はきっちり分離しないといけない。アドラー心理学の登場です。

アドラーは、心理学世界三大巨匠のうちの一人。
残りの二人は、フロイトとユング。

たまに忘れてしまって、全く別の人とか出てきてしまって困ってしまう。
検索すればなんでも出てくる便利な時代。情報は根拠やソースが正しいのかを適切に判断しないといけない。そんな情報リテラシー能力が問われつつ、考察することが求められる時代なのだろうか。

「桜が〜」みたいなニュースは程々に、気づけば、ゴールデンウィークが近づいてくる。
休みの時ほど時間を大切に扱いたい。明日から一週間+ゴールデンウィークのテーマ。
季節の移ろいを実感できて尊いやら儚いやら。そんな感じ。

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