2022 8/22~8/28 気分が落ち込む原因を考えてみる

この週は、気分が落ち込んで始まってしまって、
一旦はどうなることかと思ったけれど、なんとか、
日曜日までたどり着いたような感じだった。
気分は持ち直したけれど、何で落ちたのかを考えてみよう。
というのが、今回の日記。

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その問題、思い通りになる?ならない?

月曜日を迎えてしまったからなのか、何なのか、
よくわからないけれど、気分が落ち込んでしまって、
週の中頃になって、持ち直した。
なんていうことを経験したのが、この週。
その原因になることが、いまいちピンとこなくて、
余計にモヤモヤしながら日々を過ごしていたけれど、
きっと、そんな時は、マインドセットを変えたほうが良いのだろう。と思う。

まず、第一に、気分が落ち込んでいる時に考えていることを思い出してみよう。
そんな時に出てくる思考を、丁寧に整理すると、
意外と、思い通りにならない部分で悩んでいることの方が多いように思える。

日々生活していると、自分の思い通りになる部分と、
思い通りにならない部分が曖昧になってしまうように思える。
そんな曖昧な日常だと、そもそも、思い通りにならないことに対して、
思い通りにしようと思ってしまうことがある。
その結果、当然、思い通りにならなくて、気分が落ち込む。
という、そんな流れ。

日々、自分が取り組む物事は、常に、
思い通りになる部分と、思い通りにならない部分に分かれていて、
いかに、思い通りになる部分に留まって、自分のすべきことを
成し遂げるのか。ということが大切になる。

この、思い通りになる部分をはっきりさせ、
かつ、細分化することで、明確な細かい目標をクリアする。
それが、きっと人生。的に思っておくと、日々がゲームになりそう。
どれだけ、自分が出来ることに集中するのか。
ここが課題になってきそう。

また、気分が落ち込む時は、
「自分が出来ること以上のことに手が回っている時。」
そんな風に思うと、気分が落ち込んでいる時は、
実は、気持ちに余裕があって、
あれこれ考えることが出来ている時とも取れる。

解決しなければいけない問題に集中していれば、
落ち込むより先に集中があるはずで、
落ち込むが優先されるということは、
自分の心のどこかで、もう大丈夫、もうほぼゴール。
みたいに、心にゆとりを持たせた状態、心に隙が出来た、
そんな状態なのではないか。と思っておくと、
ここはあえて、ちゃんと、休憩しよう。とも思える気がする。

あるいは、気分が落ち込んだときにこそ、
自分で思い通りに出来ることと、思い通りに出来ないことを
はっきりと、区別させることができると良いのかもしれない。

気分が落ち込んだ時に、いかに、
自分の中で、「実は余裕がある」と錯覚して、
その余裕をどれだけ、自分が思い通りに出来ることに
向けられるのか。ということが、落ち込んだ時の
処世術なのだろう。

簡単にまとめると、
しっかり課題の分離をしよう。
ということなのだけれど、
これが難しくなる場面も当然ある。
そして、難しいときにこそ、
課題の分離を出来るようにしたい。

要は、マインドセットの問題。

自分で自分をコントロールするなり、
自分で思い通りに出来ることに集中する。
ということを、いかに、念頭に置けるか。
このことが、自分の時間を生きるために必要な考え。
そんな風に思えてくる。

結局の所、自分の手の届かない範囲、
両手を伸ばして、届かない部分にある問題は、
どんなに頑張っても、思い通りになんてならない。

人間関係なんてのは、その最たるものだけれど、
相手に触れられることが出来るから、そこを錯覚してしまう。

人間関係だったり、相手の考えていることには、
どんなに頑張っても触れることは出来ない。
触れることが出来ないものは、自分の思い通りにすることは
絶対に出来ない。

アニメ、(あるいは、マンガ)で言い表すと、
『僕のヒーローアカデミア』の死柄木弔をイメージすると
めちゃめちゃ分かりやすい気がする。

死柄木弔は、敵キャラだけれども、
手で触れることが出来ることは、自分の思い通りに出来る
そんな描写は、日々生きている中で持っていたほうが良い
マインドセットにも思える。
裏を返すと、手で触れられないなら、思い通りにならない。
ごく当たり前のことだけれど、
あたりまえのことを、日々念頭に置いて生活出来ている人は、
どれだけいるのだろうか?

英語のポッドキャストを聞いていて、改めて思うことがあった。
「生物は皆、いつ終わりを迎えるか分からない。
だからこそ、終わりを頭に入れておけるだろうか」
自分がみたポッドキャストで、インタビューを受けている方は、
常に、「終わりを意識している」と述べていた。
生物学的には、当然。
だけれども、生きている生物が、次の瞬間終わりを迎えることを
意識していられるかは、実は別の問題。
当たり前なのだけれど、
当たり前のことは、棚上げにされているのが日常。

だからこそ、明日「終わりを迎えても後悔をしない」
そんな生き方をすることが大切になってくる。
その上で、「他者と比較する」という行為に、
価値を見出すなら、それでも良いと思う。けれど、
自分は、他者と比べることには、価値を見い出せないし、
なにより、「他者の常識を押し付けられる」そんなことは、
耐え難い苦痛にも似た感情を抱かざるを得ない。

自分と相手の価値観が大きく異なる場合、
大抵は、自分が使っている「語彙」の意味を
相手は理解していないか、誤解しているのだけれど、
最近は、その誤解を解くことも、自分が意図している意味を
伝えることすら面倒に思えてきた。

どうあがいても、相手は、自分と同じステージには立たないし、
相手は、相手で、自分の思い通りに変わることなんて、
一生ありえないのだから、極論、関わらない方がましすらあり得る。

だからこそ、マインドセットが大事になってくる。
「自分の思い通りにならないことに、時間を費やそうとしていないか。」
「その貴重な時間は、その使い方で大丈夫なのか。」
「次の瞬間、終わりを迎えるとして、思い通りにならないことに
時間を費やしたままで、終わりを迎えて良いのか。」

自分の価値ある時間をどう使うのか。
どうせなら、自分が思い通りに出来ることに集中していたほうが、
幸せなのではないだろうか。
そして、自分が思い通りに出来る部分というのは、
よく考えると、実は、少ないんじゃないだろうか。
その少ないことにどれだけ集中出来るだろうか?

ポイントは、ミニマリズム的思考と、
選択と集中のように思えてきた。

まとめ

自分が出来ることにのみ集中する。
自分の影響の範囲外のことに関しては考えない。
時間の使い方が一番大事。
自分が考えるという時間を割くに値する問題か。
自分の時間という価値を最大限活かすために、
行動出来ているのか。
評価の基準なんてものは、それくらいで十分。

当然、世の中を生きることは大変だし、
ただ生きているだけで、十分偉いのだから、
それ以上のことは、あまり深く考えずに、
自分がしたいこと、自分で変えられることに
集中しておけば、それだけで十分。

「生きる」ということに対して、他者からの評価を待つのではなく、
自分で自分の価値を決定しておいたほうが、
楽なんじゃない?
自分が出来ることを継続していたら、
別に評価を気にする必要もないけど、
評価は後からついてくるはず。
後からついてきた評価は、もはや、宝くじみたいなもんだと思うと、
楽しいのかもしれない。
「人生はバカラみたいなもんなんだから、
努力は前提として、振れ幅に賭けよう。」
by 落合陽一
きっと、人生の楽しみ方はそれくらいで十分なのかもしれない。

新しいことに挑戦しても、今あることを継続しても、
結局、同じ、価値ある人生なのだから、
自分が納得できる道を切り開いて行くことが大事。
途中休憩したって、寄り道したって、いいじゃない。
歩き続ければ、きっと遠くまで進めるから。
そこに、他者との競争を入れる必要は無いよ。

とりあえず、上手い具合のバランス感覚を持って、
日々の波に乗っていきたいと思った週だった。

P.S. スプラトゥーン3の試写会は、メッチャ楽しかった。
発売日がとても楽しみ。
それまで、毎日を後悔の無いように生きよう。
スプラトゥーン3が出来ないことは、自分にとっては後悔になるかもw

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