今週は、ある程度心身の状態が整っていて、
ネガティブな事柄に対しても、俯瞰して分析できるような
状態だったこともあり、「依存したくなる時」の状態を
内省してみた週。
1月も半月が過ぎ…
年を越した。
と、そう思っていたのも束の間。
気づいたら、半月が経っていて、もうそろそろで、
1月そのものが終わってしまいそうな勢いな訳だけれども、
色々なことにも挑戦しようとして、今の所は、
それなりに行動が出来ている。そんな状態。
新しいことに挑戦しようと思っていると、
自分の能力より多少、難しい事柄にも対処しないといけなくて、
脳に負荷が掛かっていることを実感する。
何より、新しいことに触れる度に、多少、
自分の出来ることの枠が広がっている感覚があって楽しい。
この、自分の能力の限界の境目が、少しずつでも広がっていることを
実感できているうちは、退屈しなくても済むし、何より、
毎日があっという間に過ぎ去っている。
将来とか、未来とか。
そんな先のことは分からない。
だからこそ、「今」という瞬間に、集中できること自体が良い。
新しいことに触れながら、自分自身の学びとする過程が、
何よりも楽しい。新しい視点だったり、自分とは異なる考え方に触れる、
そんなひと時が至福だと思える。
そうやって、充実した時間を過ごしている時に、ふと思う。
充実しているときほど、何かに依存したいと思うことが無いように思える。
1人で何かをしているときでさえ、充実感が伴っていると、
「依存したい」と思うことは少ないように思える。
「充実感が先か」
「目の前の事柄に集中することが先か」
どちらかは分からないけれど、いずれにしろ、
そのいずれかの場合の状態に身を置いていると、
依存先を探そうという行動は極端に減っていると思う。
何かに依存したくなる時程、退屈なのでは?
「退屈」を感じる。
そんな「退屈」から逃れるために、何かに依存する。
娯楽でも、何でも。
日本では、娯楽施設が多種多様で、
退屈しのぎにはもってこいの国なのだろうと思うけれど、
日本に生まれて、日本に住む日本人からすると、
「遊び」=「どこかに行く」みたいな感覚があると思う。
あるいは、遊ぶことで、自分は充実していると思い込んでいるか。
そのどちらか。心に遊びを持たせることは、余裕を持つことだろうけれど、
「遊び心」という言葉になると、遊びを楽しむニュアンスを強く感じる。
結局、「娯楽施設という遊び」というものは、現実逃避なのだろうけれど、
アクティブに行動して、娯楽施設に通い、充実感を感じる。
そんな一連の流れに対して、ある意味では、
娯楽施設に依存していると言えるのだと思う。
ギャンブル依存症という言葉は、最近ではよく聞くようになり、
一般的になりつつあるのだろう。そういった言葉があるくらいだから、
「娯楽施設依存症」なんて言葉があったって良いと思う。
「〇〇ランド依存症」なんて言ってしまったら、周りに敵しか作らなそうだけど…
兎にも角にも、「何かに依存したい」と思うことの全てが悪いわけではない。
「依存」することで救われる場合もあるとは思う。
ただ、「依存先」を探そうとするその心理状態は、
実のところ、「現実に対して退屈感を感じているのではないだろうか。」と。
そんなことに気がついた。
毎日が同じことの繰り返しで、「退屈」だ。
「退屈な日常」を埋めてくれる何かがあったら良いなぁ。
「何か充実感を与えてくれるものはないだろうか。」
ゆくゆくは、「刺激のある何かに依存したい。」
こんな感じの感情の変遷を辿っているのではないだろうか。
多少の違いはあるだろうけれど、大枠はそんなところだと思う。
「退屈」を埋めるために「周りの何か」に頼る=「依存する」
ではなく、
「退屈な今」を振り返って、「自分が没頭できる何かを探す。」
あるいは、「より良い人生にするための行動をする」
ということが、無意識で出来るようになると、きっと、
毎日が楽しいのではないだろうか。
まとめ:結局、適度が一番なのだろうか…
ここまで書いたは良いものの、
依存出来る何かがあることもまた、幸せなのだろうと思う。
依存と独立。
そのバランス感覚だったり、
中庸を取ろうとする立場も大切だけれども、
「依存出来る」ということは、「依存先を信頼している」ということだろう。
「信頼」の対象をよく考察しないといけないけれど、
自分自身が、心から信頼出来る何かがあることは、
ある意味では、とても幸せなことなのではないだろうか。
「依存し続けること」は、明らかに良くないけれど、
「信頼し続けること」は、良いことだろう。
信頼し続けていたのに、突然裏切られると、
金輪際「信頼」なんてするものか。とも思うけれど、
何なら、「信頼し続けていたのに!」は他者への期待な訳で。
「信頼」自体は、悪いものではないだろうけれどね。
「期待」に変わってしまうとね。ちょっと話は変わってくる。
とりあえず、理解し合うことができる。だったり、信頼出来る人間関係は、
そういったことからも、大切なものなのかもしれない。
結局のところ、何でも「〇〇し過ぎ」というのは、良くない。
適度に挑戦して、適度に批判的で。
適度に脳に負荷が掛かって、適度にリラックス出来る。
適度。あるいは、自分にとっての足るを知る。
退屈を感じる時ほど、自身の価値観を常に心に留めておいて、
何かに依存する前に、自分の価値観に立ち戻る。
そんなことが大事なのだろうと思った週だった。
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