2023 1/2 ~ 1/8 自分以外の何かに期待しないことは案外難しい

日記

新年が始まって、色々と期待したいことも多いけれど、
自分以外の何かに期待をするのは、ちょっと違うと思いつつ、
自分以外の何かに期待をしないことは、案外難しいと実感する。

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現代は、依存先が多すぎる。

「今年は、〇〇になりますように」

なんて願掛けをしながら一年の始まりを迎えた人はどれだけいるのだろうか。
そんな期待を持ちたい気持ちも分かる。

自分の努力をしようと、決心するには丁度いい時期だけれど、
自分が関与できないことに関して、「〇〇になりますように」と
期待することは、やっぱり無駄だと感じてしまう。

かなり辛辣な物言いになっていると思うが、
現代には、このような無駄な期待が多く存在していると実感する。
とりわけ、娯楽、あるいは、カジノと言ったものは、
「期待」の宝庫ではないだろうか。

「当たって欲しい!」

そうやって宝くじ等に対する期待を持つ人も多いだろう。
ただ、そんな期待はかなり無駄。
多くの人が外れるクジを買ったところで、何も変わらない。

現代には、そんな宝くじみたいな「娯楽施設」が多いと思えるし、
また、ありとあらゆるものが「娯楽」に結びついている。
そんな「娯楽」すら、非日常に「期待する」行為であることに変わりはない。

よく、幸せになりたいならば、他者に期待することはやめて、
自分で自分を幸せにできるようになりなさい。と言うけれど、
それが出来たら苦労はしない。

そう。それが出来たら苦労はしない。
と言って、何かに依存する。そんな依存先を求めることを、
現代では、お金を浪費することで得ているように思える。

「浪費が伴う幸せ」あるいは、「依存する幸せ」は、
本当の意味では、自分を幸せにはしない。
その依存先が無くなってしまえば、「幸せ」も無くなるからだ。

だからこそ、自分で自分の機嫌を取ることが大切だと言うのも分かる。
分かるけれど、「自分で自分を幸せにする」って、
具体的に何をすれば良いかを考えると、案外何もアイデアが出てこなくて困る。
条件は、「浪費を伴わない」「見返りがあるようなものに依存しない」の2つ。
この条件をクリア出来る、自分を幸せにすることとは、なんだろう?

そんなことを考えていると、答えが出なくて、
何かに依存したくなってしまう。結構、悪循環。

そんな時は、先人の知恵を借りるしか無い。
今回は、ローマの哲人「マルクス・アウレリウス」に救われた。
というより、最近は、「マルクス・アウレリウス」に救われている。

きっと、現代は考えが分散しすぎている。

マルクス・アウレリウスは、こう言う。

「自己という存在は、今ここにしか存在しない」
「人生は、一瞬しか無い」

昔と今とでは、医療水準が異なるから、
人生が一瞬かどうかは、分からないけれども、
いずれにしろ、人生の終わりの時は、きっとすぐ訪れるのだろう。

そんなことを考えずに、現代では、「〇〇をしたい」とか、
「あんなこと言わなければ良かった」とか。
未来やら過去やらに考えが分散してしまっているように思える。

ありとあらゆるサービスが存在していて、
その多くを経験したいと考えているから、
まだ得ていないものを数えてしまって、満足できずに、
同じことを繰り返してしまう。「娯楽」を求めてしまう。

古代ローマと現代を比べて、どちらが良かったとかを言うつもりはない。
また、現代人が、古代ローマ人の生活を想像できるかと言われると、それも無理。

ただ、1つ想像出来ることは、きっと古代ローマ人よりも、
現代人は、娯楽に満ちているということだけ。
娯楽に身を投じることで、人生において、
大切なことが見えなくなってしまっているのではないだろうか。

老後の心配をして、「今」を疎かにした結果、
あっけなく「事故」にあってしまうことだってあるだろう。

自分自身を幸せにするために必要なことは、
「今」に集中すること。
古代ローマ人もそう言っている。

「今」に集中する。とか、
チクセントミハイという心理学者が言うところの「フロー状態」を経験するとか、
そういったテーマは、過去にも何度も考えている。
つまり、過去から今まで、「今」に集中することが、
完全には出来ていないということだ。

ちなみに、2022年の3月頃に同じようなことを考えていたようです。

「今」をどう過ごすのか。

良い意味で、執着を手放して、自分のすべきことを選択し、
その選択したことにのみ、集中することが出来ると良いのだろう。
古代ローマ人、マルクス・アウレリウスも、
ミニマリズム的な思想に落ち着いていたようで。

「今」この瞬間に、何をするのかを、よく考えることが必要だ。
「明日は何しよう」とか、不確定な未来を考えて「面倒くさい」と考えたり、
過去の出来事を引きずって、「こんな嫌な思いを経験するくらいなら、
最初から知らなければ良かった」なんていうように、自暴自棄になったりと、
そんな風に、思考を「未来」や「過去」に飛ばす必要はない。
思考はタイムマシンのように、様々な時間に飛ぶことが出来るけれど、
現実に生きている「自分自身」はタイムマシンに乗ることは出来ない。

口癖も、気をつけておくようにしよう。
「明日は…」とか、「面倒だなぁ…」とか
「嫌だなぁ…」とか、「こんな過去は捨てたい…」とか。
そんなことを思ったら、全て破棄して、
「今、何に集中すべきか」をしっかりと自分に問いかけることが大切だ。

まとめ:ちょっと辛い時は、哲学書を読むに限る。

メンタルがしんどい時は、大抵、変なことに依存したくなるし、
自分でもよく分からない行動をしてしまうことがよくある。
その度に、「なんであんなことをしたんだろう?」
と黒歴史になって、闇に葬り去ることを何度繰り返せば良いのだろう?

ちょっとだけ「しんどい」くらいなら、無闇に自己啓発本を読むのではなく、
数冊の哲学書の中から、適当に1冊選んで、ゆっくり読む。
そんな作業をすることが大事だと思う。

きっと、その哲学書を振り返ったり、読んだりすると、
その時の自分に刺さる金言があるはずだ。

哲学書の中でも、分かりやすいもののほうが良いとは思うけれど、
ここはきっと、好みだろう。

哲学書から「学ぶ」ことも多いハズ。
人の悩みは意外と、いつの時代も変わっていない。
そんなことを実感すると、ちょっとだけ、
「今」を生きる勇気が得られるような感じがする。

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