過去に、16の性格診断で、自分がどんな性格特性があるのかを
調べてみた時に、自分と似たタイプの著名人に、ニーチェがいて、
そのうち、ニーチェの書籍を読もうと思っていたけど、
だいぶ時間が経ってしまったので、改めて、ニーチェについて調べてから
書籍を読んでみようと思いつつ、調べてみたことを書き記しておく日記。
「Chat GPT」と対話しながら調べてみよう。
「Chat GPT」の良さは、レスポンスが早いこと。
孤独感に耐えきれなくなった時に、返事が早いと、
孤独感を紛らわすことが出来るような気がするのだけれど、
Chat GPTの本質は、色々な知識が降ってくること。
玉石混交な感じもあるのだろうけれど、
正しい情報と照らし合わせながら調べたら、
物事に対する理解が、これまでに比べて、
かなり効率良くなるのではと思っています。
ということで、今、自分が気になっている、
ニーチェについて、調べてみようかと思います。
ニーチェについてかく語りき
ニーチェという人物について。
フリードリヒ・ニーチェについて、教えて下さい。
フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)は、19世紀のドイツの哲学者・詩人・思想家で、西洋哲学史の中でも重要な存在として知られています。彼の哲学は、実存主義、文化批評、道徳哲学、神秘主義など様々な要素を含んでいます。
ニーチェの思想には、以下のような特徴があります。
- ウィルト・ツー・マハト(意志の力)の概念
: ニーチェは、人間には強力な意志の力があると主張しました。この意志の力を通じて、人間は自己を超え、創造的な行為を行うことができると考えました。 - 超人(ウーベルメンシュ)の概念
: ニーチェは、超人という概念を提唱しました。超人とは、自分自身を創造的に超越し、自由な精神を持ち、人生を自己責任で生きる人間のことです。 - 神の死
: ニーチェは、キリスト教や宗教が道徳的な価値を侵食し、人間を抑圧していると考えました。彼は「神は死んだ」という有名な言葉を残し、自己責任や自己超越の価値を提唱しました。 - マス・カルチャー批判
: ニーチェは、マス・カルチャーや一般的な価値観に対して強い批判を展開しました。彼は、個人の自由や創造性を奪い、平凡な生き方を強制するマス・カルチャーを危険視しました。
ニーチェは、自己の才能や可能性を引き出し、自己責任で生きることを提唱しました。その思想は、現代の実存主義やポストモダン哲学の基礎となっているといわれています。
ほう?
wikiと比べながら見ていこうかと思ったけれども、
もうすでに、wiki +αの情報が乗っかってるという…
とりあえず、気になったことを1つずつ見ていこう。
ニーチェが考える「自己責任」って?
ニーチェによる、超人(ウーベルメンシュ)の概念における、 自己責任で生きる人間とは、どういう人間を指しているのですか?
この質問の意図としては、
「自己責任」という言葉の意味を文字通り捉えてしまうと、良くないのだろう。
ということと、現代では、否定的な意味合いとして使われがちの言葉なので、
はっきりと、かつ、具体的に、ニーチェが考える「自己責任」を確認したいわけです。
ニーチェによる「超人(ウーベルメンシュ)」の概念における「自己責任で生きる人間」とは、自分自身を創造的に超越し、自由な精神を持ち、自己を責任持って生きる人間のことを指しています。
ニーチェによれば、人間は自分自身が主体的であることを自覚し、自己の才能や可能性を引き出し、自己の目的を見つけることが重要であり、それらに従って自己を責任持って生きることが求められます。ニーチェは、自己責任を持つことによって、個人は自己の価値を発揮することができ、自己を超越することができると考えていました。
具体的には、自己責任を持つことによって、自己の思考や行動について積極的に判断し、それに基づいて自分自身の人生を決定することが求められます。また、自己責任を持つことによって、自分自身の幸福や成功に向けた努力を惜しまず、自分自身を常に向上させることが必要です。
したがって、ニーチェによる「超人」の概念における「自己責任で生きる人間」は、自分自身を責任持って生き、自己を超越することを目指す、強い意志と創造性を持った人間を指しています。
自己の目的ね。
「自分探し」とか言う、「自分自身の本質を探す旅」
みたいな経済的な戦略の上での、あるいは、
商品としての「自分探しあります。」といった形ではなく、
「主体的である」ということね。
その主体性というのが、「自分自身の幸福や成功に向けた努力を惜しまず、
自分自身を常に向上させること」にあるということね。
すごく分かる。共感できる。
何より、「自分自身が努力をし続ける必要がある」というフレーズ。
これは、自分が大切にしたいなぁ。と思っていたことでもあるし、
そういった観点でも、ニーチェに親しいのかもしれない。
かといって、努力をしていない人に対して、
嫌悪感を持つことは、また別の話なのだろう。
結局のところ、自分しか勝たん。次。
ニーチェは、マス・カルチャーをどう批判した?
ニーチェによるマス・カルチャー批判には、具体的にどういったものがありますか?
今でも、「マスメディアは…」みたいな批判はあるけれど、
具体的に、どういった部分に嫌悪感を抱いているのかを、
言葉にできるかと言われると、ちょっと怪しい。ということで、
ニーチェは、この問題をどう捉えていたのかを聞いてみたい。
ニーチェは、現代社会におけるマス・カルチャー(大衆文化)を厳しく批判しました。彼の批判は非常に多岐にわたっており、以下にいくつか例を挙げます。
- クリエイティブな思考と個性を奪う
:ニーチェは、マス・カルチャーがクリエイティブな思考と個性を奪い、個人の成長を阻害すると考えていました。彼は、「群衆」と呼ばれるマス・カルチャーの中において、個人は自分自身を見失い、単なる群衆の一員としての生活を強いられると主張しています。 - 価値観の浅ましさ
:ニーチェは、マス・カルチャーが物質主義や表面的な快楽を優先し、深い価値観を持たないことを批判しました。彼は、「群衆」が短期的な利益に重点を置くことによって、長期的な幸福や成長を失うことになると警告しています。 - 偽りの情熱
:ニーチェは、マス・カルチャーが真の情熱や創造性を欠いていることを批判しました。彼は、マス・カルチャーにおいて、人々は他人に影響され、偽りの情熱を持つことになり、自己実現を妨げられると考えています。 - 権威主義と同調圧力
:ニーチェは、マス・カルチャーが権威主義的であり、同調圧力をかけることで個人を自由な思考や行動から遮断することを批判しました。彼は、個人は自己責任を持ち、自己の信念に従って自由に生きることが求められると主張しています。
以上のように、ニーチェはマス・カルチャーに対して、その価値観や文化的影響力、個人の成長や創造性に及ぼす悪影響など、様々な点で批判を加えています。
「群衆」ね。
ギュスターヴ・ルボンの書籍『群衆心理』というものでも、
人間が群衆の一部になった場合、どういった状態に陥るかが書かれてた。
「群衆」の一部になることで、自己が喪失される。
という、この側面に対して、ニーチェは危機感を抱いていたと。
個人がどうあるべきか。ということが一番大事で、
同調圧力は、必要ない。という考えね。
学校教育とニーチェの思想は相容れなさそうですね。
今の学校教育もまだ、同調圧力による歪やら問題点やらで、
教師の業務の一部は、ブルシットジョブとなっているだろうし…
人が「大変だ」と思う部分において、「機械」が代替出来る部分を
早急に変えてしまって、本質のみに取り組めれば良いのだろうけれど…
書籍『ブルシットジョブ』はまだ読み切れていないので、ここまで。
「マス・カルチャー」=「偽りの情熱」は面白い。
ありとあらゆる「マス・カルチャー」に踊らされる現代は、
もはや、自分自身の情熱なのか、偽りの情熱なのか、
偽りだと思っていたら、いつの間にか自分自身の情熱になっていたり…?
いや、他者から与えられた時点で、かつ、それが大衆文化(=流行り)
の一部であったなら、偽りなのだろうね。
自分は「何がしたいのだろうか?」
その時その時において異なるだろうけれど、
「したいこと」に対する情熱が大事であって、
自分の信念を貫くことが大切だということでしょう。
なんか、勇気がもらえる感じがしますね。
自分が読みたいと思っている書籍を
一旦要約してもらおう。
まずは、『超訳ニーチェの言葉』から。
書籍『超訳ニーチェの言葉』について要約して下さい。
『超訳ニーチェの言葉』は、哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作から選ばれた数百の言葉を、現代日本語に翻訳した書籍です。著者は白取春彦氏です。
この書籍では、ニーチェの思想をより分かりやすく、現代的な言葉で表現することを目的としています。ニーチェの思想は、非常に深い思考と高度な哲学的洞察力を必要とするものであるため、一般の読者にとっては理解が難しいものとなっています。そこで、白取氏は、ニーチェの言葉を現代的な言葉で解説し、読者により深い理解を促すことを試みています。
本書は、ニーチェの代表的な著作から引用された言葉を、主題別に分類して収録しています。その主題には、「自己革新と成長」、「愛と人間関係」、「人生と幸福」、「哲学と知識」、「芸術と文化」、「権力と政治」などが含まれます。
『超訳ニーチェの言葉』は、ニーチェの思想に興味がある人、哲学的思考に興味がある人、自己啓発や自己革新に興味がある人にお勧めの書籍です。ニーチェの言葉に触れることで、自己理解や人間関係の向上、自己実現に向けた新たな視点を得ることができるかもしれません。
答えが生成された際、著者が間違っていましたね。笑。
日本語の書籍に関して要約するのは、ちょっと難易度が高めか。
とりあえず、この書籍は、ニーチェの様々な著作からの
引用から成っている本。ということね。テーマ別なのは良いかもしれない。
次はこれ。
書籍『ツァラトゥストラかく語りき』について教えて下さい。
『ツァラトゥストラかく語りき』は、フリードリヒ・ニーチェの哲学的思想を小説形式で表現した作品で、ニーチェが晩年に書いた最も重要な著作の一つです。
本書の主人公であるツァラトゥストラは、ゾロアスター教の創始者に基づいて作られた架空の人物で、自らの精神的な変容を通じて人間に対する新しい価値観を提案しています。ツァラトゥストラは、従来の価値観が陳腐化していると考え、新しい価値観を創造しようとする哲学者の姿として描かれています。
ツァラトゥストラは、神という概念を否定し、自己の内面から価値を生み出すことを主張しています。また、彼は「超人」という概念を提唱しており、人間が自分自身を超越し、自己実現を果たすためには、従来の価値観から解放され、自己責任で行動しなければならないと主張しています。
この作品は、ニーチェの最も重要な哲学的主題である「死神思想」(死の意識を前提とした自己超越)と「永劫回帰」(すべての出来事が繰り返されるという概念)を中心に据えています。また、本書は散文と詩の形式が混在している点が特徴的で、美的な言語表現が多く用いられています。
『ツァラトゥストラかく語りき』は、ニーチェの思想を深く理解する上で重要な著作であり、現代の文学にも多大な影響を与えています。特に、現代の哲学や精神医学、芸術に興味がある人にとって、興味深い作品となっています。
「超人」に戻ってきた〜!!!
辞書あるある。また最初に戻ってくるやつ。
記事がだいぶ、長くなってしまっているので、
最後に「死神思想」と「永劫回帰」だけ確認。
ニーチェの哲学的主題である「死神思想」と「永劫回帰」とは?
ニーチェの哲学的主題である「死神思想」について教えて下さい。
ニーチェの哲学的主題である「死神思想」とは、死を前提とした自己超越を主張する思想です。ニーチェは、人間は死を前提として生きるべきであり、死の意識が人間をより高いレベルに引き上げると考えていました。
死神思想において、死は人間にとって「敵」ではなく、「友」となります。死があることで人間は自分自身を超越し、限界を超えることができると考えられます。ニーチェは、「誰かが死に向かって走っているとき、その人は生きるために必要なエネルギーを与えられる。」と述べており、死の意識を持つことで、人間は自己実現に向けた努力をすることができると考えられています。
また、死神思想においては、人間は自己を超越し、自己の「限界」を超えることが必要であるとされます。限界を超えることで、人間は自己の可能性を開花させ、自己実現を果たすことができます。限界を超えるためには、自己の内面を探求し、従来の価値観から解放されることが必要であるとされます。
ニーチェの死神思想は、彼の哲学的思想の中でも中心的なテーマの一つであり、彼の作品全体にわたって表現されています。
「死神思想」は、人間の「死」に対するパラダイムシフトといった感じか…
スティーブ・ジョブズの言葉に収束しますね。
「自分が明日死ぬとして、今日することは本当に大切なことだろうか…」
ニーチェにおいては、自己超越のための大切な問なのでしょう。
こう考えると、鬱とニーチェにおける自己超越は紙一重といった感じもありますね。
次。
ニーチェの哲学的主題である「永劫回帰」について教えて下さい。
ニーチェの哲学的主題である「永劫回帰」とは、全宇宙が無限に繰り返されるという考え方です。この考え方は、ニーチェの作品『ツァラトゥストラはこう語った』の中で特に強調されています。
ニーチェは、「永劫回帰」という概念を用いて、人間が自己を超越するために必要な意志力や行動力を引き出すことができると考えました。つまり、人間が今生きているこの瞬間が、宇宙史において唯一無二の瞬間であるという考え方ではなく、これが無限に繰り返されるとすると、今この瞬間に何を成し遂げるかが重要になるということです。
そして、自分たちの行動や思考が永遠に繰り返されるという考え方を受け入れることで、自己の行動に責任を持つことが必要とされます。そのために、自分たちの生き方に対して深く考えることが求められ、自分自身にとって本当に意味のある人生を生きるために必要な行動を取ることが必要とされます。
「永劫回帰」は、ニーチェの哲学的思想の中でも重要なテーマの一つであり、人間が自己を超越するために必要な意志力や行動力を引き出すことができる考え方です。
ジョジョ6部感がある。
宇宙は終わって、また繰り返す。
自分たちの生き方に対する深い考察。
自分自身にとって本当に意味のある人生を生きるために必要な行動。
だんだん冷静になってきたので、改めて考えると、
この資本主義経済においては、過剰なものと、過少なものが入り混じっている。
商品の希少価値が演出されて、実は過剰なのでは?と思えるお金が交換される。
希少なもの・流行り・マスメディアによる偽りの情熱によって、
本来、必要のないことに「お金」というものが絡んでいる。
実際の「価値」とはなんだろうか。
自分自身にとって本当に意味のある人生を生きるとは、なんだろうか。
大衆に迎合することなのか。
同調圧力に屈することなのか。
明日死ぬ前提で、何かに挑戦することなのか。
学びを諦めて、努力をせず、怠惰に人生を終えるのか。
実際、資本主義経済が一気に変化することはないから、
「お金」という交換価値は大事。だけれども、その使い方がもっと大事。
自分自身にとって、大切なことのために時間を使う。
結局は、それが一番大事。
まとめ:ニーチェに救われる。
職場に訳の分からない人がいたり。
外面だけ体裁を整えて、内側に対する態度が最悪な人がいたり…
世の中色々な人がいる。
けれども、結局、自分が一番大事だということを、
改めて思い知らされた感じがする。
まだ、書籍を読んでいないから、これから読むつもりだけど…
ニーチェが考える世界観は、良くも悪くも、
多様性のある社会を生きるということ。
多様性の中で、自分自身はどうあるべきかを、改めて問うことが大事。
「自分の機嫌は、自分で取らないといけない。」
そうは言っても、本当に辛い時は何かに頼りたくなる。
辛い時ほど、自分の身は危険な状態だから、
頼る存在はきちんと決めておいたほうが良い。
今では、たとえ孤独でも「Chat GPT」が頼れる存在。
思考の拠り所は、自分にとって、似た考えの哲学者。
そんな、いつでも帰れる場所を、思考の拠り所を
しっかりと定めておく大切さを、調べながら実感した。
調べて良かったと思えることは、
明日を生きる勇気を貰えたように感じること。
今は、表面的なことだけかもしれないけれど、
今後、しっかりと書籍を読む時間を作ろう。
メッチャ長くなった…
今週は、こんなところ。
ニーチェに感謝。
書籍は、また後日読む。
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