aikoのライブに初参戦して、推し活が良い理由が分かった気がする。ライブ自体は本当に楽しくて、aiko自身も生きる力をもらえたと言っていたけれど、それはお互い様で、自分自身もaikoから生きる力をもらえたので、本当に感謝。そんな感謝も込めながら、今の気持ちと考えを書き記しておきます。
自分の好きなアーティストが目の前にいる幸せ
これは言うまでもなく、好きなアーティストが、目の前にいてパフォーマンスをしていること自体の素晴らしさで、画面越しでもなければ、デジタル音源でもない、生の声を聞けることが幸せだなぁ。と。
これに関しては、生身のアーティストには、なかなか、実際に会うことが出来ないからこそ、非日常的な時間を過ごすことの出来る感覚だったり、特別感があったりして、言ってしまえば、自分の「好き」な空間に身を投じることが出来る幸せなのだろう。
アーティストに対する「好き」という感情が行き過ぎると、アーティストが「神」と同化したりするわけで、個人の中で神格化されたアーティストは、もはや、信仰の対象みたいな感覚なのだろう。と。
別に、好きなアーティストがいる人をディスっているわけではなく、信仰の対象にまで、「好き」な側面を見つけることが出来たり、そもそも、自分が「好き」と思えるようなアーティストと、同時代に生きていることが出来るだけでも幸せなことで、素晴らしいことのように思えるわけです。
まず、ここが、推し活をすべき1つ目のポイント。自分の「好き」を目の前においておくことで、それだけで幸せになれる。
好きな曲が流れる幸せ
好きな曲が、その時の雰囲気と合わせて流れることは「ライブ」の良いところ。とりわけ、「ライブ」に関しては、その時のセットリストをもとに、その時の流れだったり、会場の一体感から生まれるアドリブ的なことも起こって、その時の空気感も楽しい。何より、数時間も自分の好きなアーティストがその場で歌う、好きな曲にずっと浸れることは、幸せ以外の何物でもない。
何より、いろいろな曲を聞いていると、その曲を聞いていたときの自分の感覚だったり、懐かしさだったり、その場で改めて曲を聞いて、昔を振り返ったときの新鮮さが心地よかったりする。
また、アーティストが曲を通して発するメッセージに心を打たれる訳で。その時に自分が抱く感情は、時には嬉しかったり、時には悲しかったり。そんな様々な感情を一気に飲み込んで、エネルギーとして発散したり、また、アーティストからエネルギーを受け取ったりする。そんな感覚がある。
「推し活」をすべき2つ目のポイント。とりわけ、歌手とかアーティストだったりすると、「歌」に乗せて、色々な感情が自分の中に入ってくるメッセージが心地良い。共感できたりする所が良い。
ライブ会場独特の一体感
今回、aikoのライブは、三階席で、フロアだったり、会場のすべてを見渡せるようなところで、ライブ中はステージに皆目が向くけれど、そんなライブ中に、ふとフロア全体を見たり、ステージから観客席に映るプロジェクションマッピングとかを見るのも面白かったりする。
そんな全体的なライブの雰囲気だったり、会場に集まったすべての人が持つエネルギーだったり、手拍子だったり。それら全体で織りなすライブ独特の空気感が良かったりする。
全員で一つの空間を作り上げる感じがなんとも面白くて。自分の興味の無いグループの一員になることには嫌悪感があったりするくせに、好きなアーティストのライブ会場に集まったファンの一員になった感覚は心地良いという。なんともワガママな感じもするけれど、ファンもaikoもバンドメンバーの皆様も、スタッフの方々も。それらすべての人たちがいて、ようやく出来上がる「ライブ」の空気感と一体感は本当に楽しかった。
「推し活」をすべき3つ目のポイント。好きなものを共有している多くの人と関わっている感覚を得られる。SNSで共有すれば、より多くの人と交流できたりするのだろうけれど、これに関しては、人それぞれだと思う。
この構図は、良い意味での宗教と同じ。(カルトとは違う)
さて、考察。
ライブの間のちょっとした休憩中にふと、頭をよぎったのは、
「あぁ、本来の宗教の役割って、こういうことか。」
ということ。
どういうことかというと、キリスト教だったり、ちゃんとした宗教には、3つ、重要なポイントがあります。
① 信仰対象があること。
② 聖典があること。
③ 身体所作があること。
これらの3つが揃って、新しい一日に対する活力を得ることが宗教の本来の役割。一つどころに留まって、思考を固めてしまおうという、いわゆる、「カルト」とは大きく異なる所。
これを、アーティストのライブに当てはめると、
① 信仰対象=アーティスト
② 聖典=曲。あるいは、曲の持つメッセージ。
③ 身体所作=ライブパフォーマンス。手拍子とか、色々。
という感じで、ピッタリ当てはまる。
だからこそ、信仰の対象が好きであればあるほど、これからの未来に対する活力を得られるのだろうと思う。
ということで、まとめると「推し活」=「宗教」という話。
確かに、現代を生きていると、特に、日本で生きていると、信じるべき「モノ」という事柄が抜け落ちた国であるが故、「カルト」にハマったり、それこそ、自己啓発本みたいなものに影響されたりしてしまう部分がある。
そういった部分を気にするのではなく、「ありのままの自分で良い。」と認めるための「推し活」というのは、ある意味では、新しい文化の形になるのかもしれない。
昔は、人間の数も少なかったが故、信仰の対象も影響力のある「何か一つ」があれば十分だったけれど、今の時代は、だいぶ人口が増えたので、そういった「信仰の対象」もマス化して、細分化され、1人の人にカスタムメイドの「信仰」を自分で作り上げることが出来るようになったのではないだろうか?
まぁ、グダグダ書いたけれど、aikoのライブで、久しぶりに、学生の頃の学園祭みたいなノリを楽しむことができて楽しかった。っていう、それだけのこと。「推し活」は最高だね!
まとめ:明日を生きる活力をもらえた。
自分には、自分だけの苦悩だったり、辛さだったり、苦しみがあるって思っていたけれど、aikoには、aikoの苦悩だったり、辛さだったり、苦しみがある。
そんなことに気付かされたライブだった。
ふとした拍子ににじみ出た、aiko自身が持つ、今を生きる時に感じる生き辛さみたいな感覚も伝わってきたような感じがして、「あぁ、皆悩みながら生きているんだなぁ。」ということを感じた。
そんなaikoがステージで魅せた躍動感だったり、楽しさだったり、ステージ上のすべてのアーティストの方々と作り上げた、あの時だけの「ライブ」という空間は、本当に楽しそうで。本当に、生きる糧なのだなぁ。と、そう思った。そんな、aikoにとっての生きる糧に触れて、自分自身も「エネルギーを貰えたなぁ〜」と、そう、振り返れるライブで、また行きたいなぁ。なんて思えているから、きっと、ちょっとはポジティブになれて、これから生きることにも立ち向かえそうな感じがする。
久々に聞いたアンドロメダは、最高だった…
アンドロメダを聞くと、泣きそうになるんだよなぁ。
刺さる歌詞を作り上げるaikoの言葉のセンスだったりが、「良いなぁ〜」って思えるところ。
aikoですら、悩みながら、苦しみながらも、今を生きてる。
これから、生きていて、きっとまだ大変だったり、辛いなぁって思う時はあるだろうけれど、それでも、なんとか、もう一度、ライブでaikoのパフォーマンスを見ることを目標にしながら生きるのもありなのかもしれない。とそう思った週末でした。
こんな風に前向きになれるから、結局、「推し活」はオススメ!
明日からの日々も、大切に生きていこう。
[伶丁日記] 2023 6/5 ~ 6/11
コメント