関わり合うことが無くなる人間関係なら…

日記

今週は色々あった週な感じがする。有名タレントの訃報を目にした時は対してダメージが無いと思っていたけれど、数日遅れてメンタルにダメージがきたり、自分に置き換えてみたときに、「孤独」ということを実感して余計にダメージを受けたり。もう、いっそのこと何も気にせず「孤独」を愛し、「孤独」に生き、「孤独」にこの世を去ることを受け入れてしまったほうが楽なのでは?と思ったので、思考を整理して、前向きになるためのメモを残しておこうと思う。

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ビビリ散らかす日々を生きて…

そう。それは、6月11日。aikoさんのライブに初参戦したときのこと。

aikoさんの発する言葉や考えに触れた時に、思いのほか共感することが多くてビックリしながらも、楽しんでいた時のこと。

aiko:「私もビビリ散らかしながら日々を生きているけれど、…」

SNSって、やっぱりちょっと怖い部分もあるよね。っていう感じの流れで言った時のこと。「ビビリ散らかしながら生きてる」の部分。

「これ、本当にスゴく分かる!」って共感した、今年一の共感。

そんなことは無いと分かっているのだけれど、自分以外のすべての人が、自分の敵に思えてしまって、行動しようとする度に、ストッパーがかかってしまうような感覚。

「自分以外のすべての人が敵。」

実際、そんなことは無いし、究極的には、自分以外のすべての人は、みんな、自分のことなんて全く気にしてなんかいないのだけれども、「敵」に思えてしまう瞬間がある。

「敵」に思えてしまうからこそ、攻撃されないように気を使うし、自分自身が傷つかない様に気をつける。そんなことを繰り返しているうちに、心は疲弊してしまって、誰とも関わりたくない。ってなってしまう。

そうやって、心が疲弊した瞬間に、「人間関係リセット症候群」に陥るのだと思う。

もう、何度リセットを繰り返したのだろう。気づけば、普段から連絡を取り合う人なんて、周りからいなくなってしまったことに気づく。

ビビリ散らかした結果、「孤独」に陥ったわけだけれど、メンタルは保たれる。こうなると、一つ、考えることがある。

「自分にとって、大切な人間関係って、どんな関係なのだろう?」

関わることが無くなる度に、ダメージを受ける。

普段から、人と連絡を取り合うことが多いわけでは無いけれど、ふとした拍子に、連絡をしたいなぁ。って思って連絡をして、ただ、やり取りを繰り返していると気づいてしまう瞬間がある。

「あぁ。もう、この人は、自分とは関わる気が無いんだなぁ。」

っていう瞬間。なんとなく、体から血の気が引くような感覚があって、一つ失われた様に感じるあの瞬間。

心に穴が空いていくようで、埋まることはもう無くて、ボロボロになっていくのを感じる瞬間。そんな感覚を、AIは、上手に絵にしてくれたときがあって、それがコレ。

自分は前に進まないといけないのに、自分が抱えた心には、大きな穴が空いて、空虚に思えて、前に進むつもりが、道に迷うような感じ。

自分の中では、大切に思っていたはずなのに、相手はそんな感じではなくて、ふとした拍子に、そのことに気付かされて、自分の心の中から、「大切な部分」が失われていくような日々。

誰かと関係を深めたかと思うと、気づいたときには、そんな関係も失われてしまって、失われる度に、心にはダメージを抱えて。何度繰り返したら良いのか分からずに、ボロボロになりながら行き着く先は、自分の場合は、心を守るための「孤独」という場所だったという。

そう考えると、人間関係を大切にしながら生きている人を見ると、あぁ、自分に欠けているのって、こういった配慮だったりするのかなぁ。って思ったりもする。結局疲れて、どうしようも無くなるのだけれども。んで、そんな配慮を自分が出来るのかと問うてみると、いや、大変すぎて無理。ってなる。

関係を取り戻したくても戻せない。

キーワードは、「不可逆」と「ギャツビー」

雑記、というか、日記を週1のペースで書いて気づけば一年以上が経ち、気づくことがある。時々、同じ様に悩んでるなぁ。って。んで、その度に、「華麗なるギャツビー」を引き合いに出しているなぁ。って。

「華麗なるギャツビー」のネタバレにもなってしまうから、あまり細かいことを言いたくは無いのだけれど、「ギャツビー」は、「ある人」と、よりを戻すために奮闘するわけだけれど叶わず…

今の自分の境遇と、「ギャツビー」を照らし合わせた時に、「孤独」という点で一致して、よりを戻したい人がいるかというと、半々。「ギャツビー」はお金持ちだったけれど、自分はそうではない。(けど、お金持ちになることを望む点で一致。しかし、多分無理。笑。)

とまぁ、似てる感じがする。そんな「ギャツビー」を思い返すと、「友」を欲し、「よりを戻す」ことを望み、不可逆な世の中において、「過去を取り戻せる」と信じ…

確かに、分からなくはない。そう信じたいし、そうでありたい。

昔の友達とまた、ゆっくり話したりもしたいし、笑い合いたい。けれど、そんな古き良き時代の過去は、取り戻せない。「不可逆」な世の中なのである。かなり残酷だけれど、それが真実。そんなことを、頭の中で、グルグル考えていると、何も無いのに、急に泣けてくる。「あぁ、自分って、生きていたって…」とか、かなりネガティブになる。

そんな最悪のタイミングで、芸能人の寿命ではない訃報を聞くと、余計に心にダメージを受ける。また、そんな最悪のタイミングだからこそ、良くないことを考えさせられてしまう。

「孤独」が楽な理由は…

「孤独」が楽な理由。それは、「関係が破綻した時のダメージを受ける必要が無くなるから。」コレに尽きる。

漫画、「DAYS」サッカー漫画なのだけれど、上手く表現したセリフがある。

「人生って、電車みたいだ」

偶然同じ車両で、同じ方向に進んで、似たような目的を持って、同じ時間を過ごす。

乗り換えで、その車両から降りたら、きっともう、一生会うことは無いんじゃないかって思えるほどに儚い関係。

漫画の作中では、上手いこと表現しているなぁ。って思ったのだけれど、自分の列車に乗り合わせている人は、もう、ほぼいない。というか、自分は列車に乗っているのだろうか?どこかよく分からない駅に降りて、そのまま列車に乗れず、どこへ向かうかも分からずに、ただ、立ち往生しているのでは無いだろうか。

皆は、目的を持って、電車に乗り続けているのに、自分は、立ち止まっているのでは無いだろうか?自分だけ、時の流れが遅くなっているようで、日々、どんどん、追い抜かれているのでは無いだろうか。

誰かと比べる必要は無いのだろうけれど、ふとした瞬間に、そんなことを思う。

どうしようもなく、くだらないと思えるような人生。それこそ、誰かと比べたような「平均的」な人生と比べると、もうすでに、取り戻すことなんて出来ないほどに手遅れで、過ぎ去ってしまったことのほうが多い人生で、「辛さ」のほうが「幸せ」より多くなりそうな日々を生きて、どうすれば「自分にとっての幸せ」を得ることが出来るのだろうか?と考える日々。

もう、いっそのこと、すべてを投げ出して、自分のやりたいことだけに集中しようか?と思うけれど、それは流石に極端すぎるので、「自分がテンションが低くても続けられること」に焦点を当ててみようかと思う、今日このごろ。

テンションが低かろうが、最低限のことだけは続けられることは、きっと、自分が続けたいと思っていることなのだから、「何かしらのことが出来ないか」と考えることは良いことなのかもしれない。

きっと、「ワガママ」って、関係性が多くなると、できなくなることなんじゃないだろうか。感じで書くと、「我が儘」とかになるし。

関係性が希薄になったときこそ、「自分のやりたいこと」「ワガママ」な振る舞いを取ってみても良いのでは無いだろうか。もちろん、他人に迷惑をかけない前提で。

そんなことを考えるほどに目まぐるしい一週間だったので、今週くらいは、心も穏やかに、静かに生きていきたいものです。それこそ、「DAYS」でも読み返そうか。笑。

明日からの一週間も暑いみたいな予報だから、体調には気をつけよう。

頑張れ。自分。「運」が導いてくれるかもよ?

[2023: 7/10 ~ 7/16]伶丁日記

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