アニメ「バナナフィッシュ」を見返しながら、やっぱり、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」もちゃんと読んでおこう。と、そう思って、ふらっと本屋に立ち寄ったら、偶然にも、サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』があったので、衝動買いしてしまったという先週、7/30日。読んだ感想を書き留めて置く読書感想文である。
『バナナフィッシュにうってつけの日』
「バナナフィッシュ」という、空想の魚を探していた主人公は、「バナナフィッシュ」を見つけられず、一緒にいた無垢な子供は、「バナナフィッシュ」を見つけることができたという。
そんな出来事の後、主人公は、自らの命を…
大まかなあらすじは、こんな短編。正直、一度読んだだけだと、何を言っているのかもサッパリ分からなかった。
主人公の周りに登場する人物たちの会話は噛み合ってないし、主人公は、だいぶ意味のわからないことを考えてるし。主人公のそばにいた子供だけが主人公に対して理解を示している感じで、最終的に、主人公が取った最後の行動には、全く腑に落ちなかったのが一読した感想である。
それもそのはず。小説とは、作者の考えを反映した時代背景だったり、どういった設定なのかを踏まえないと、小説の世界に深く沈み込むことはできないのだ。ということで、最近では全く話題に挙がることもなくなってしまったChat GPT に、バナナフィッシュについて、聞いてみようと思ったわけで。
この検索?あるいは対話は、やはり英語を活用しないと精度も悪いだろうなぁということで、英語を使って聞いてみた。
Do you know about J.D.Salinger’s short novel ”A perfect day for bananafish”?
Yes, I am familiar with J.D. Salinger’s short story titled “A Perfect Day for Bananafish.” It is one of his most well-known works and was first published in 1948 as part of his collection of short stories titled “Nine Stories.”
The story follows the character of Seymour Glass, a war veteran who is staying at a Florida hotel with his wife, Muriel. Throughout the narrative, the reader gets glimpses into Seymour’s troubled state of mind and his strained relationship with Muriel.
The titular “bananafish” is a term that Seymour uses to describe a type of fish he claims to have encountered during the war. He tells a young girl named Sybil a story about these imaginary fish, which becomes a central and symbolic element in the story.
The narrative explores themes of post-war trauma, isolation, alienation, and the struggle to communicate effectively with others. It is known for its complex characterization and exploration of the human psyche.
“A Perfect Day for Bananafish” is considered a significant work in American literature and is often studied in literature courses for its rich themes and thought-provoking narrative. It showcases J.D. Salinger’s distinct writing style and his ability to delve deep into the complexities of human emotions and experiences.
What kind of hidden messages are written in this story, ”A perfect day for bananafish”?
“A Perfect Day for Bananafish” by J.D. Salinger is a story rich with symbolism and hidden messages that invite readers to interpret and analyze its deeper meanings. Some of the key hidden messages and themes in the story include:
1. Post-war trauma and alienation: The story’s protagonist, Seymour Glass, is a war veteran who appears to be suffering from post-traumatic stress disorder (PTSD). His experiences during the war have left him emotionally scarred and disconnected from the world around him. The bananafish symbolize the trauma and alienation that war can inflict on individuals.
2. Struggle to communicate: Throughout the story, there is a noticeable struggle for effective communication between characters, particularly between Seymour and Muriel. This lack of communication highlights the difficulty of conveying one’s inner thoughts and emotions to others, especially when dealing with psychological distress.
3. Innocence and corruption: The presence of the young girl, Sybil, in the story represents innocence and purity. Seymour finds solace in her company and appears to connect with her more genuinely than with other adults. However, the story hints at a darker undercurrent of adult corruption, symbolized by the superficial and materialistic behavior of characters like Muriel.
4. Existential themes: The bananafish, as a fictional creature, may represent the struggle of individuals to find meaning in life and the possibility of encountering a deeper reality beyond the surface of existence. Seymour’s fascination with the bananafish and his eventual tragic end can be interpreted as an exploration of existential themes and the quest for meaning.
5. Themes of isolation and detachment: Seymour’s detachment from society and his struggle to connect with others highlight themes of isolation and detachment in the modern world. The story may be seen as a critique of a society that fails to recognize and understand the emotional struggles of individuals.
6. The loss of innocence: The story’s conclusion, with Seymour’s shocking and tragic act, can be interpreted as a loss of innocence or a descent into a darker reality. This loss of innocence may also be seen as symbolic of the impact of war and the inevitable loss of innocence that comes with traumatic experiences.
These hidden messages and themes make “A Perfect Day for Bananafish” a complex and thought-provoking story, inviting readers to explore the complexities of human emotions, the consequences of war, and the challenges of meaningful communication in a world marked by alienation and superficiality.
以上の内容なのだが、とりあえず、自分が聞いたことは2つ。「バナナフィッシュにうってつけの日」を知っているのか?ということと、「どんなメッセージが込められているのか?」ということ。回答を日本語に翻訳すると、以下のようになる。
まずは、「バナナフィッシュにうってつけの日」を知っているか?という質問に対して。
はい、「バナナフィッシュにとって完璧な日」というJ.D.サリンジャーの短編小説についてはおなじみです。「バナナフィッシュにとって完璧な日」は、彼の代表的な作品の一つであり、1948年に彼の短編小説集である「九つの物語」の一部として初めて出版されました。
この物語は戦争の退役軍人であるセイモア・グラスが妻のミュリエルと一緒にフロリダのホテルに滞在している様子を描いています。物語の進行により、読者はセイモアの心の苦悩と彼とミュリエルのぎくしゃくした関係に垣間見ることができます。
物語の題名である「バナナフィッシュ」とは、セイモアが戦争中に遭遇したと主張する一種の魚を表す言葉です。彼は少女のサイビルにこれらの架空の魚についての話をし、それが物語の中心的で象徴的な要素となります。
物語は戦後のトラウマ、孤立、疎外、そして他者との効果的なコミュニケーションの苦闘といったテーマを探求しています。複雑なキャラクター描写と人間の心の探求で知られています。
「バナナフィッシュにとって完璧な日」は、アメリカ文学において重要な作品とされ、豊かなテーマと考えさせられる物語のために文学の授業でしばしば研究されます。これはJ.D.サリンジャー独特の文章スタイルと人間の感情や経験の複雑さを深く掘り下げる彼の能力を示しています。
実際に、短編を読んだあとに、このことを聞いたので、回答が正しいことを確認。そして、なぜ会話が噛み合っていなかったのか。また、なぜ、悲劇的な最後を遂げたのかを理解。
では、次の質問。「どんなメッセージが込められているのだろうか?」
「バナナフィッシュにとって完璧な日」というJ.D.サリンジャーの短編小説は、象徴性と隠されたメッセージに富んだ作品であり、読者にその深層の意味を解釈し分析させるものです。物語におけるいくつかの主な隠されたメッセージとテーマには以下が含まれます:
- 戦後のトラウマと孤立:物語の主人公であるセイモア・グラスは戦争の退役軍人であり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えているように見えます。戦争での経験が彼を感情的に傷つけ、周囲の世界から切り離された状態にしています。バナナフィッシュは戦争が個人にもたらすトラウマと孤立を象徴しています。
- コミュニケーションの困難さ:物語全体を通して、特にセイモアとミュリエルの間で、効果的なコミュニケーションには困難があることが見受けられます。コミュニケーションの欠如は、心理的苦悩を抱える際に、内なる思考や感情を他者に伝える難しさを浮き彫りにしています。
- 無垢と腐敗:物語に登場する少女、サイビルは無垢と純粋さを象徴しています。セイモアは彼女との交流で安らぎを見出し、他の大人と比べてより真に彼女と心を通わせるように見えます。しかし、物語は大人の腐敗の暗い面をほのめかし、特にミュリエルのようなキャラクターの浅はかで物質的な振る舞いを象徴しています。
- 存在主義的なテーマ:バナナフィッシュは架空の生物として、個人が人生の中で意味を見出す試みと、存在の表面の向こう側に深層の現実に出会う可能性を象徴しているかもしれません。セイモアのバナナフィッシュへの魅了と最終的な悲劇的な結末は、存在主義的なテーマと意味の探求を描いています。
- 孤立と切り離しのテーマ:セイモアの社会との切り離しと他者との接続の困難さは、現代社会における孤立と切り離しのテーマを浮き彫りにしています。物語は、個人の感情的な闘いを認識し理解することができない社会の批判と見ることもできます。
- 無垢の喪失:物語の結末におけるセイモアの衝撃的で悲劇的な行為は無垢の喪失や暗い現実への降下として解釈されます。この無垢の喪失はまた、戦争の影響と心的外傷後の経験に伴う無垢の喪失を象徴しているとも見なされます。
これらの隠れたメッセージとテーマにより、「バナナフィッシュにとって完璧な日」は複雑で考えさせられる物語となり、読者に人間の感情の複雑さ、戦争の影響、そして孤立と表面的な偽善によって特徴付けられた現代社会の課題を探求する契機を与えます。
ここまで解説されると、考察がはかどる。AIの力を借りることで、物語の深層、奥深くまで潜ることが出来そうだ。
なるほど。戦後のPTSDだったりが、背景知識として欠けてると、理解できなくなるのもうなずける。
さて、考察を深めてみようか。
「バナナフィッシュ」に惑わされて
「話が噛み合わない」「孤独を感じる」「無垢だけが救い」さて、こういったことを、現実として直面していないだろうか。少なくとも、自分自身は、かなり当てはまる。「話が噛み合わない」なんていうのは、しょっちゅうだし、そのせいかもしれないけれど、「孤独」を感じることもしばしば。(とは言いつつ、孤独だから不安になるというわけでも無いけれど。)そんな絶望にも似た状況においては、「無垢」なるものに、救いを感じるのもうなずける。
さて、主人公は、「バナナフィッシュ」を海の中に探し求めた。表層ではない、深層に何かがある。と思って探していた。対して、サイビルも、バナナフィッシュを探し、そして、見つけた!と言う。果たして、本当に見つけたのだろうか?「無垢」がゆえ、「無垢なる想像を膨らませた」だけなのではないだろうか。サイビルにとっては、主人公セイモアは、このような空想で、自分を楽しませてくれる存在。くらいの認識だったのかもしれない。いずれにせよ、「純真無垢」なサイビルは、「バナナフィッシュ」を見つけることができるくらいには、「誠実」だったのかもしれない。
さて、「バナナフィッシュ」とはなんだろうか。
空想の「魚」として描かれ、それは何なのかを、一切明かすこと無く小説は終わる。
何を「意図」あるいは、「象徴」しているのだろうか?
ヒントは、先程、AIが回答してくれたなかの4番目。「存在主義的」なテーマだ。
表層ではなく、深層にあるのではないだろうか。とする「バナナフィッシュ」。おそらく、サイビルは、表層で「バナナフィッシュ」を見つけたのでは無いだろうか?対して、主人公である、セイモアは、深層に「バナナフィッシュ」を探そうとしたのでは無いだろうか?
「バナナフィッシュ」、それは、「生きる意味」なのでは無いだろうか。
サイビルは、無垢が故、「表面的」な楽しさに満足する。実際、「無垢」であれば、表面的な楽しさで、自分自身を満足させることができるし、それが容易でもある。一方、セイモア自身は、「深層」に潜って探そうとする。表面的な楽しさは見繕う感じがして、嫌気が指していたのかもしれない。あるいは、PTSDに苦しむ中で、「生きる意味」の本質を探し出そうとしたのかもしれない。「本質」なんてものは存在しないと捉えながら、表面的に楽しみながら、自分を満足させることができるなら、きっと、人生楽に生きられるのだろうけれど、セイモアには、それが出来なかったのだ。
「本質」を探すゆえ、「表面的」に見繕う会話には、正直、意味を見いだせないだろうし、周りと話なんて噛み合うことはなくなるだろう。そうすると、孤立を深めることにもなる。とはいえ、人間関係は大事だと思うけれど、結局、「表面的」な関係に落ち着いてしまうので、心の底から理解し合えるとは思えなくなる。そうなると、セイモアの最後の行動にも納得がいく。
「周りは楽しそうに生きているのに、なんで自分だけ辛いんだろう。」
サイビルは「バナナフィッシュ」を容易に見つけることができるのに、自分は「見つけられない」。その苦悩から脱却することは叶わず、最後の行動だけが彼にとっては救いとなるわけだ。「表面的」な楽しさと、「本質的」な楽しさ。この2つを対比させる事によって、結論づけられることは、「世の中バカの方が楽しく生きることができる」ということだ。
多少、乱暴な物言いになってしまったが、「表面的」で無垢な楽しさを享受できたほうが、ありもしない「本質的」な楽しさを追求するより楽だし、楽しくて良いのだろう。
正直なところ、小説を読み、Chat GPT を活用して内容の理解を深め、考察をすることで、自分自身を主人公と重ね合わせることになったと思う。実際、主人公の境遇と、自分の境遇も似通っているうえに、セイモアの、理解されない感覚に関しては、痛いほど分かる。そんなセイモアと自分を重ね合わせてみると、自分自身の考えは小説内の主人公に投影され、セイモアが最後を遂げると、自分自身の持つ悲劇的な思考だったり、「生きる意味の本質」を探そうとする姿勢のようなものも、ある程度、消滅したように思える。
まるで、自分自身の人格の一部が消滅したようにも思えるのだ。かといって、完全に消滅するわけでも無いことは分かっているけれど、つかの間の安らぎを得たような感じがする。小説の世界に没頭するということは、読者の心を落ち着けてくれるのだろう。
また、サリンジャーは、言葉遊びをしていたのだろうか?なんてことも思ったりする。
主人公の名前、英語表記だと、Seymourであり、カタカナでは(あるいは発音すると)、セイモア。そのカタカナを、別の英語に置き換えるならば、”Say more” (もっと話せ)となる。
この小説は、サリンジャーなりのエールだったり、メッセージなのだろうということを、こういったところにも感じる。どういったことかと言うと、「もっと話して(Say more)」表層的なところから、深層へと潜っていけばいいじゃないか。と。まだまだ足りないと。
もしかしたら、「言う」だけで、「話を聞いていない」ことに対する皮肉なのかもしれないけれど、そもそも、精神的に健康だったとしても、コミュニケーションなんていうものは、伝わらないことが前提なのだから、もっと話して、共有できる部分を増やしてみたら良いのでは無いだろうか?なんていうメッセージかもしれない。
果たして、自分自身に、セイモアからの渾身のメッセージを受け取るだけの良い未来は待っているのだろうか?あるいは、「セイモア」できるような相手を見つけることはできるのだろうか?
セイモアに足りなかったであろう考え
セイモアは、「生きる意味」を追求した結果、その「生きる意味」を見出すことができず、悲劇的な最後を遂げた。彼に足りなかった考えはなんだろうか。その答えは、ラテン語にあった!?そんな感じがする。
最近、仕入れた本、『教養としてのラテン語の授業』という書籍。
この本の冒頭部分を読んでいると、こんなラテン語に出会った。
「Carpe Diem(カルペ・ディエム)」
「今日に集中し、いまを生きろ」というラテン語だ。
たった2語のラテン語に、力強いメッセージが込められている。
今日、集中できる事柄とは、なんだろうか。何かを学ぶことだろうか?学んだことを活かして、何かを創作することだろうか?追求することだろうか?楽しむことだろうか?あるいは、休むことだろうか。
どのような行動を取ったとしても、「今日に集中し、いまを生きる」ことができるのならば、それは、幸せと呼べるものなのではないだろうか。セイモアは、「バナナフィッシュ」を、海の中に見つけようとして、海の中の美しさには、目が向かなかったのかもしれない。もし、その海の中がキレイだったら?あるいは、海に浮かびながらみた水平線に美しさを感じ取れたら?太陽の光が海の表面で反射して、キラキラと綺麗だったら?もし、「今」という瞬間に集中していたら、これらのことにも気づけたのではないだろうか。
きっと、「バナナフィッシュ」は、ついでで良かったのかもしれない。
「いまを大切に生きる」ついでに、「バナナフィッシュ」が見つかったら、それで良いのかもしれない。
「バナナフィッシュ」は見つからなくても、「今日に集中して、いまを生きる」ことができたら、十分なのかもしれない。
「カルペ・ディエム」
結局、人が生きる幸せ・意味なんてものは、この2語で言い表せるのかもしれない。
[2023 7/31 ~ 8/6:伶丁日記]
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