「生成AI」。2023年の流行語にもなって、AIというテクノロジーの存在感が増してきた昨今。仕事に対する価値観は、Life work balance から、Life as workへと、変化させる必要があるのでは?という提言が、デジタルネイチャーという概念を提唱している落合陽一さんの書籍で語られて、約7年。
Life as work という概念を理解し、自分の中に、どう落とし込もうか。というのが今年のテーマになりそうでもあるので、一旦、考えてみる。参考書籍↓
仕事のAI化は、徐々に、着実に進む。
現代の日本において、人口の減少が議題にあがり、少子化が騒がれ、高齢化が騒がれ、年金受給年齢の引き上げをして、健康な後期高齢者も働ける世の中にしよう。という、完全な労働力不足がこういった提言につながるわけだけれども、そんな人口減少とAIへの代替は、かなり相性が良い。
なにより、AIは文句を言わない。働けといえば、AIだったらずっと働かせることだって可能である。
そのように考えると、AIを搭載したデジタル機器だったり、コンテンツが増えてきた現在、労働という市場を見たとしても、AIが入り込む余地がある部分に関しては、かなりのレッドオーシャンになっているように感じる。なにより、「知性・労働効率・速さ・正確さ」これらのどれをとっても、人類がAIに敵わなくなる未来がやってくることが、ほぼ確定している。
とりわけ、2023年に生まれた子どもたち世代は、「AI家庭教師」とまではいかないかもしれないけれど、AIを活用して勉強をしている未来が待っていることは予想がつく。
それほどまでにAIが浸透するであろう未来においては、ホワイトカラーの職業に関しては、かなり危うい感じがあって、一方、ブルーカラーだったり、エッセンシャルワーカーだったりは、AIに代替されにくいのでは?なんて思うのだけれど、それも、2024年は、AIを搭載した機械が登場するだろうとのことで、どうなるかは分からない。分からないけれども、かなりヤバい未来も見える。
この動画内のロボット、マジでヤバすぎる。料理だよ?機械が。
しかも、一回学習させるだけでできるんだよ?
プロの技術を学習させれば、機械が、一瞬でプロになるんだよ?
ヤバくない?プロという価値が暴落する。いや、この言い方は良くないかもしれない。プロの技術をコピーした機械の料理を安価に楽しめるのならば、それは良い未来かもしれない。
プロの価値はあるし、身体性という点を鑑みるならば、実際の身体を伴って料理を作った方に価値があるとして、より希少になるかもしれない。機械は流通するだろうけれど。安価にプロの料理を食べれるなら、そっちを食べてみたいよね。貧乏だから。それで満足しそう。
Life as work とは
「Life as work:差別化した人生価値を仕事と仕事以外の両方で生み出し続けること」
これらからは、その方法を見つけられた人が生き残る時代であると。落合陽一氏。
雇用され、労働し、対価をもらうというスタイルから、好きなことで価値を生み出すスタイルに転換することの方が重要だ。
『超AI時代の生存戦略』
つまるところ、「自分が突き詰めたいと思うこと」を基準に、収益化できないかを考えることのほうが大切で、今の「YouTuber」に対する初期の批判、そんな遊んでないで…ということは、もう的外れで、コレを真剣に突き詰めないといけない時代になったということ。極端なことを言うとね。
そんな中、落合陽一さんは、AI時代における大事な力を3つ挙げていた。
- AIを使って新しい価値を生み出す力
- 自分の力で価値を生み出す力
- 誰も気づいていない価値を見つけ出す力
どのように収益化するのかということは、自分自身が突き詰めたいこと(オタク性)と上記1〜3のうち、どれが相性が良いのかを考えたほうが良い。
「みんな違って、みんな良い。」一人になることを恐れないで
競争すること自体が、もはや、レッドオーシャンの渦中にいるということ。
一人ひとりがブルーオーシャン戦略を取る必要がある。
ある種、自分しかやっていないんじゃないか?という不安を持つ必要がなく、それが正しいと信じて、黙々と、かつ、淡々とこなす必要がある。結果ダメでも、そこからPDCAサイクルを回してみたり、別のブルーオーシャンを探したり。コレが大事になってくるのだと。
どんな活動でも、もはや良い。全部違って、全部良い。
この意識を持つには、「集団に帰属する意識からの脱却」をしないといけない。
つまり、個人として向いている方向はバラバラで構わない。=「みんな違って、みんな良い」(みんな違って、みんな関係ない。ってことなんだ。)(←昔、考えてみたことがあったけれど、今になって、急に腑に落ちた。)
自分が突き詰めたいと思っている活動で、いかにして収益化をするのか。どのように自分自身でビジネスを行うのか。今後ほど、ビジネスのマインドセットを個人が持つ必要がある時代は無いだろう。一部の経営者だけが、ビジネスあるいは経営戦略と呼ばれる戦略を持ち、従業員がそれに従うという構図は、今後は通用しない。個人が社会に対して、ブルーオーシャンを見つけ、そのブルーオーシャンで収益を集める。これを個人で完結させないといけない。
孤立化・分断が進むことは考えられる。
個人が様々な方向を見て、進むということは、多様化がより一層進むということ。共通点を探すこと自体が難しくなるということ。
そうなると、コミュニティだったり、自治のあり方、あるいは、良い意味での「ゆるい」つながりとしての村社会的なコミュニティだったり、集まれる場所は必要なのではないだろうか。と。
そう思ってはいるのだけれど…
すでに孤立して、孤独な自分からすると、もう、関係なく自分の突き詰めたいことを突き詰めて、かつ収益化を目指すということに変わりは無い。
なんなら、孤立・孤独が進みすぎて、人間関係すら、ARかつVRなんじゃないかって、本気で思い始めてきた昨今。
もはや全てがゲームで、社会というフィールドにおいて、対人関係というのはNPCとのやり取りか。
ゲーム内で、NPCとのやり取りが上手くいかないのは、もはやバグか。なんなら、伝わらないというのは、バグが多いゲームのNPCだからであって、そんなバグだらけのゲームなら、やり取りが上手くいくことのほうがレアケースで。
そんな考えを持っていると、普段の生活もなかなか味わい深い。バグだらけで。デバッグとかできそうもないからね。
世の中は変数だらけで、様々な変数に対して適切な行動だったり、反応を示すべきなのだろうけれど、一通りの答え、あるいは反応しか持ち合わせていないのは、旧世代のプログラムなのだから仕方ないことなのかもしれない。とはいえ、AIの方がマシかもしれない。
まぁ、そんな旧世代のプログラムは、きっとAIというシステムに飲み込まれていくのだろうし、ヒューマンコンピュテーションとの関わりの中で、AIだったり、コンピューターに知らないうちに使われていくのかもしれない。
人類は、資本主義が生まれてから、あるいは、産業革命からか、時間というプログラムに支配されてきた。
超AI化時代においては、そんな時間との関わり方もズレてきて、ライフワークバランスもそのうち死語になって、時間をまたぎながら自分の好きなことを突き詰めて生きる(働く)のだろう。
まずは、自分も突き詰める中で、収益化ができるのだろうかと試行錯誤する必要があるし、ブルーオーシャン戦略を取る中で、市場調査をする必要があって、その上で、自分にしかない価値を付加できないだろうかと考える必要がある。
それらを実現するにはまずは行動しないといけないし、意外と住む場所とかは関係ないのかもしれない。
どのような場所に居ようとも関係ないのかもしれないけれど、働くということに関して、10年後に無くなっているかもしれない業界にいると思うと、正直、文字通り先が思いやられるし、暗中模索の状態が続いてしまうことに対しては、早めに、個人で収益化を目指す必要があるのだろうなぁ。と切実に思う。
そんなことを思いながら、なにを解決したのか分からない記事を作成しているのであった。
AI化する世界、ちゃんと考えないとヤバイよ!!!
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