2022 6/20~6/26 気分の波に揺られて言葉の海に沈む

今週は、タイトルの通り、気分の浮き沈みが激しかった週だった。
沈む時は、この週の中盤の空模様と同じようにとことん沈んで、
楽しいと思える時間が来たと思ったら、あっという間に過ぎていく。
気づくと、言葉についてふと考えながら、気分は凪の状態に近づいていく。
今回は、そんな一週間を振り返ってみるだけの雑記です。

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沈んだ気分をすくい上げてくれる存在は…

この週の始まりは、自分がやりたいことをしたり、
暑い中、散歩をするということから始まった。
散歩自体は、いつもどおりだし、リフレッシュ出来る最高の時間だ。
欲を言えば、もう少し、木々の間に佇んで、
ゆっくりしたいところだったが、暑いから、やめておこう。
と思ったり、草がだいぶ茂ってきたのを見て、
『ライ麦畑でつかまえて』を読み返したいなぁ。とそう思っていた。

週の半ばにかけて、天気が悪くなり、雨が降り続いていた辺りで、
自分の心の太陽も雲に覆われて見えなくなってしまった。
この薄暗い日々と同じように、薄暗く後ろめたい感情が、
雨と共に、しきりに降り注いでいる。
外の雨と同じで、この感情を、無理に抑えることも出来ず、止まず、
ただただ、無慈悲に自分に向かって降ってくる。
もう、流石に、嫌気が差していたのが、この週の中盤。

そんな、沈んだ心をすくい上げてくれるような、
楽しいひと時は、週末に訪れて、そこで気分は持ち直す。
『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンにとってのフィービーが
自分にもいるのだと錯覚しても良いのだろうかと思いながら、
今に至る。

週のはじめに、予言してた?これ?白昼夢が正夢?
今週は『ライ麦畑でつかまえて』みたいな週になるよってことだったの?
そんなことを思いながら、今、書いているわけだけれど、
ホールデンにとってのフィービー、(『ライ麦畑でつかまえて』)
アッシュにとっての奥村英二、(『BANANA FISH』)
みたいな存在が居てくれるだけで救われるという気持ちは分かる。
錯覚でもいい。今は、その錯覚にすがらせてもらいたい。
なんて思ったりもする。

ホールデンと同じように言葉を考える

ホールデンと同じように、聾唖者のフリをして…っていう訳ではなく、
一週間を生きている過程で、ふと降ってきた言葉があった。それは、

「鶏口となるも牛後となるなかれ(鶏口牛後)」
意:大きな団体の属員になるよりは、
小さな団体でも、そのかしらとなるほうがよい。

「鶏口牛後」ね。なんとなく引っかかった。
遊びながら、言い換えていくと、

多くの人が持っているものと同じものを持つくらいなら、
少数しか持っていない人たちの中で、独自のものを持つのが良い。

なんとなく面白くなってきたので、
更に言い換える。

レッドオーシャンに行くくらいなら、
ブルーオーシャンに行ったほうが良いよ。

ここまで来ると面白いを通り越して、昔の思想家はすごいなってなる。
いや、むしろ、昔からずっと言われているということは、
多くの人は、ブルーオーシャンに行けないか、探せないか、
彷徨っていたかしていたのだろう。
そう考えると、実は、今も、昔と全く同じなのかもしれない。

今は、デジタル戦国時代と言っても過言ではないだろうし、
インターネットによるSNSは、自分にとっては、虚数世界みたいな感覚だし、
昔は、物理で戦っていたわけだけれど、今は、言葉が氾濫する時代。
なんか、余計に、『ライ麦畑でつかまえて』が刺さってくる。
一旦、老子とか莊子辺りを読んで落ち着いても良いのかもしれない。

まとめ

今週は、大したことを書いていないように思えるけれど、
レッドオーシャンよりは、ブルーオーシャン。
大人数と一緒にいるより、分かりあえる少数の人といる方が良い。
そんなことを、「鶏口牛後」という言葉から考察した感じでした。

実際、ブルーオーシャンを探すのは大変だし、
その中で独自性を発揮していくことも難易度は高い。
クリエイティブになる、とか、表現・発信することが大事なのは分かるけれど、
全員が発信するということは、発信すること自体は、
レッドオーシャンということになる。
発信する内容が、ブルーオーシャンになるようにする?
発信する媒体をブルーオーシャンにする?
そもそも、自分という存在はブルーオーシャンだから、大丈夫だと高を括る?
発信の上に成り立つ内容でブルーオーシャンを目指すことも大変になってきそうだ。
赤と青が混ざって、紫くらいになりそう。
もはや、世界はパープルオーシャンくらいで、
後から振り返って見た時に、あれは赤だった、とか青だった。
と分かるのかもしれない。

世界は実はパープルオーシャン。
曖昧な中に漂って、紫の中にいるかと思っていたら、
実は青側に寄っていたり、赤側に寄っていたりするのかもしれない。

はっきりさせたくなるけれど、
人生、曖昧なくらいが丁度いいのかも。
曖昧さの中に揺蕩っていることを受け入れておこう。

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