今週は、なんとなくメンタルが闇堕ちしかけていたり、
そんな状態だから、ネガティブな情報を受け取りすぎたり…
希望とか期待とかを抱いた挙げ句、さらに深い闇に落とされたり…
そんな中でも、「自分で自分を幸せにするしかない。」ということを
言い聞かせるために書き進めていこうかと思う。
人の幸せを満たす要素を考える
マズローの自己実現理論が、人の幸せの段階を表していると言うけれど、
こと、現代社会においては、そのピラミッドも少し変化しているのだろう。
という考察から始めてみる。
まずは、↓これがマズローの欲求段階説。5番目から順に1番目に向かっていく。
- 自己実現の欲求
- 承認(尊重)の欲求
- 社会的欲求 / 所属と愛の欲求
- 安全の欲求
- 生理的欲求
現代の社会においては、5・4番目の欲求、言い換えると、
身体的な安全や、精神的な安全は、満たされていることの方が多い。
つまり、命の危険を感じる機会は少なくなっていると言っても良い。
そうなると、「社会的欲求・愛・承認欲求」辺りが、幸せを感じるポイントなのだろう。
ただ、この「社会的欲求・愛・承認欲求」が満たされないことで、
精神的な状態が歪んでしまうこともあるように思える。
とりわけ、こういった欲求を他者から求めようとすると、
きっと、良い結果にはならないのだと、最近感じるようになった。
『華麗なるギャツビー』から考えるメンタルの闇堕ち
『華麗なるギャツビー』(原題:The Great Gatsby)では、
ギャツビーの転落が描かれたりするわけだけれども、
ネタバレをしない程度に、考察を深めてみようと思う。
まず、ギャツビーは、承認欲求を自分自身で満たそうとするのではなく、
他者に依存することによって、幸せになろうとした。
その結果、悲惨な末路を辿ってしまうのだが、ポイントは、
承認欲求を他者に依存しようとすることを、作中の描写では、人は、
「未来にあるかすかな光に手をのばしながら、過去に流されていく」
といった具合に表現しているようにも受け取れる。
この希望が、他者に依存するものの場合、
自分自身を光で満たしてはくれない。とも取れる。
幸せになろうとするならば、自分で自分を光で包む必要がある。と、
このように解釈すると、また違った側面から作品を見ることが出来る。
さて、人生生きていると色々あって、ふとした瞬間に、
自己嫌悪の悪魔に取り憑かれることもある。文字通り、魔が差す瞬間だ。
そんな悪魔に取り憑かれてしまうと、多少の期間は、メンタルが闇堕ちする。
そんな闇堕ちの期間に、特に気をつけないといけないのが、
この、「他者にすがってしまいたくなる欲求を、上手く流さなければいけない」
ということだ。
自分が孤独なだけ?
いや、結局、自分で立ち直らないと、どうしようもない。
周りに期待したところで、期待を裏切られて疲れるのが自分なのは分かっている。
自分の力で、自分という人間を認めて、慰めて、許してあげることが大切だ。
そうやって、立ち直らなければ、
「生きているのではなく、死ねないだけ」
というフレーズが、心を抉る。
自分以外の他者は、容赦なく自分を誰かと比較する
「自分で自分を許す」ことを心掛けようと思うと、
上手く、「他者と自分」を切り離すことが出来る。
自分は自分。他人は他人。そうやって、区別することは、
闇堕ちしたメンタルを立て直すには必要な作業だ。
ただ、そうやって落ち込んでいる時に、空気を読まずに、
自分と他者を比べてあれこれ言うような人もいる。
メンタルが闇堕ちした状態で、これをされると、正直しんどい。
どうやら、身体的には健全なのに、
メンタルだけが夏風邪を引いてしまったようです。
太陽は空高く昇っているいるのに、自分の心は、影の先の闇に沈んでいるようです。
そんなメンタルを立て直す作業は地道なもので、
ゆっくり、無の状態を、言わば、プラスでもマイナスでもない、
フラットな状態に立て直せるよう、感情を締め出すような作業をしないといけない。
自然が癒やしてくれるか、時間が癒やしてくれるか分からないけれど、
自己嫌悪から立ち直るには、必要な時間だと思う。
自己嫌悪に陥った自分の目に写るこの世界は、ネガティブそのもの。
その世界を破壊して、作り変える作業をしなければ、ポジティブな側面は見えてこない。
ダダイズムによって、ネガティブを作り変え、ポジティブなものを積み上げる作業。
意外と、クリエイティブなことに没頭するか、芸術が救ってくれたりすることもある。
自らが幸せに思える世界に足を踏み入れなければ、幸せにはなれない。
「自分の幸せは自分が決める」というのは、
「自分で自分が幸せだと思える世界に足を踏み入れる」という
能動的な行動だ。受動的に自分の幸せを決めたところで、いつかは破綻する。
自分が思う幸せな世界観は、自分で創り上げるしかない。
まとめ
世の中は選挙やら何やらで騒いでおりますが、
腐敗しきった世の中に価値を見出すことが出来ないのは当然ですが、
まずは、自分の身の安全やらを優先させましょう。そして、
身の安全と同じように、メンタルの安全も考えたい今日この頃。
「生きているのではなく死ねないだけ」
そんなフレーズに惑わされることなく、
自分自身が幸せだと思える世界観を創ろう。
そう言い聞かせるための、今週の雑記。
良い時もあれば、悪い時もある。
人間とは言え、常に理性を働かせ続けるのも大変。
時には、本能に任せて、だらけても良いのかもしれない。
時間を無駄にした…と思いたくないから、暫くそんな時間はないかもしれないけど。
メンタルが闇堕ちした。と自覚出来ていたから、対処が出来た。
と、そうやってポジティブになることから、明日からも生きていこう。
そんな短いながらも、明日を生きていく決意を表明する雑記でした。
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