気がつけば夏が過ぎ、少しずつ肌寒くなってきたかと思ったら、
どことなく、明るい自分も遠く離れていくような気がして、
気温の低さ、寒さとともに、自分自身にも冷たく当たり散らしていることが
増えてしまったように思うこの頃。
自分を労ることが出来るのは、自分だけ。
このことを、肝に命じておきたいと思いつつ、今週の振り返りをしよう。
時間があったら、ゆっくり読みたいマンガ
時代の移り変わりも、なんとなく激しさを増し、
「本当の情報」というものが、どこにあるのか分からなくなってきている昨今では、
「正しい知識」なんてものは、どこにも無いんじゃないかと思ってしまう。
そうなると大切になるのが、自分自身で考える力になるわけだけれど、
「自分自身で考え、行動する」ということは、なかなか大変。
「自分の価値観」という揺るがない軸を持ちながら、柔軟に新たな知見を広げる
バランス感覚を持ち合わせないといけない。
行動だったり、思慮深さに関して言うならば、
モデルにしたいのは、シャーロック・ホームズ。
完全に架空の人物であり、小説のキャラクターだけれども、
自分の軸を持ち、洞察力と思慮深さに長け、
時には、自身の信念に基づいて行動する。
そのバランスを体現していて、モデルにしていたいと思う。
ただ、小説は気合を入れて読まないといけないので、
一旦、マンガを読もうと思うのだけれど、
改めて読み直したいと思っているのが、
『図書館の大魔術師』
というマンガ。
作中の描写やストーリーは、ファンタジーの要素も取り入れつつ、
現代を生きる上でも、考えされられるセリフや言い回し、場面などがある。
「本」を巡って巻き起こる様々な出来事を通して、
主人公の成長を描くのだけれども、
主人公が直面する、ありとあらゆる場面において、
自分自身も同じような姿勢を持たないといけないと思うこともある。
「時に睡眠を削って努力をする場面は必要かもしれない。
ただ、睡眠を削って成り立たせようとする計画はその時点で破綻している」
といった類のセリフや、
「目の前の情報に謙虚であろうと思います」
といったセリフは、今を生きている自分自身にも当てはまることだと思う。
真偽が分かりづらい現代の出来事においても、
ある程度の知見が出揃うまでの「ラグ」があるけれども、
その「真偽が分からないラグ」の時間をどう生きるか。
ただ、自分と異なる意見を否定をするのではなく、
情報に対して、あるいは、状況に対して、謙虚である姿勢は持ち続けておきたい。
また、
このマンガの面白いところは、
「様々な権威に紐付けられた情報は、納得しやすいけれども、
その中に、偽りが含まれていた場合、正しいことを判断することが困難になる。」
という描写もある。
私達は、「専門家」という言葉にどれ程踊らされているのだろうか。
「専門家」というだけで、
「あぁ、あの人はそれだけの知識があるんだ。」
と無意識に納得してはいないだろうか。
確かに、「専門家」という言葉は便利だし、
見ず知らずの相手に、どんな人かを伝えるには、一番手っ取り早いとは思う。
さて、その「専門家」の人は、本当に、その事柄について、
深い知見を持ち合わせているのだろうか。
自分の自身の無さ、あるいは、自分の意見を相手に押し付けるために、
都合のいい「専門家」の威光を使っていないだろうか。
たとえ、「専門家」だろうと、知識や見識、考え方が、現代に通じない人もいるし、
「専門家」以上に、1つのことを追求することが出来る時代だし、
有象無象の情報から、信頼のあるソースを見つけて、
「専門家」以上に、専門的な知識を得る素人もいるはずだ。
そんなことを考えることも出来るマンガ、
「図書館の大魔術師」は、
定期的に読み返したいと思ってる今日このごろ。
時は過ぎ、日は短くなり、寒くなり…
最近、寒くなってきたからなのか、よく分からないけれど、
無駄に自分に対して厳しくなっているように感じる。
自分に対して厳しい、というより、自分自身に対して冷たくなっている
というか、そんな感じ。
気温が影響しているのか、よく分からないけれど、
夏の頃は、それなりにポジティブだったのが、
最近、気温が低くなってきた辺りでは、ネガティブになりつつある。
自分への厳しさを持つことは、時には大事。
特に、自分自身が、達成したい目標があるならば、
目標を達成するために、自分に少し厳しくして、誘惑に勝たないといけない。
そう。自分への厳しさを持つことは大切なのだけれど、
気温が低くなっているからなのか、無駄に厳しくしすぎていると思う。
多少の夜ふかしをして、「何でいつも無駄に夜ふかししてるんだろう?」
とか、その結果、朝ゆっくり起きた時には、「何でもっと早く起きなかったんだろう」
とか。最終的に、生活習慣が乱れてしまっていて、もう全部が良くない。
みたくなってしまう。
あまり厳しくしすぎるのも、きっと良くないとは思う。
それこそ、月一で、自分のために、
何かしらのチートデイイベントを開催しても良いかもしれない。
普段の自分の行動から、最もかけ離れた行動が、多分、望ましいかも。
普段、自分を律しているならば、月イチで、自分を甘やかしたり。
普段の自分とは、正反対の行動をしてみると、非日常を手軽に体験出来るかも。
こんなことを考えさせられる季節がやってきてしまったのだろう。
きっと、「暗い」とか、「寒い」という言葉が、
デフォルトでネガティブな意味合いを孕んでいるのだろう。
それらの言葉の中に、どんなポジティブを見つけられるのか。
きっと、そんなことを考えていたら、年末年始がやってくるのだろう。
まとめ:自分を労ろう。
寒くなってきて、1年の終わりを実感しつつあるこの頃、
無駄に自分に厳しくして、「こんなに自分に厳しくしているんだから、
ちょっとは、慰めてよ!」みたく他人に期待することを止めるには、
自分で自分を労る必要がある。
他人に期待することを止める。というのは、
他人から、慰めてもらうことを、褒めてもらうことを、
尊敬、あるいは、羨望の眼差しを向けられることを、
期待することを止める。ということだろう。
悪くいうと、自分で自分を変えるしかない。
よく言うと、自分が変われば、色々と変わる。
どちらの言葉を受け入れているかで、
その時の心の状態が分かる気がする。
まずは、そう。
1年近く、無病息災。健康で生きてきた自分は偉い。
そんな中、色々なことにチャレンジした自分はきっと凄い。
まずは、これらのことに対して、きちんと、
自分で自分を褒めてあげないといけないと、そう思う。
所詮、世の中なんて理不尽。
周りの人が期待通りに動くことなんてありえない。
それならば、せめて、自分だけは自分の味方でいてあげよう。
そんなことを考えた一週間だった。
チートデイに何をするかを考えておこう。
きっとそれは楽しいはず。
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