2022 3/28~4/3 今の自分の、人間関係のストレス対処法

買い物に行くと、常々、会計1つとっても人間関係だと思っていて、最低限の感謝と思いやりは必要だと思うのだけれども、そんなことを一切考えていないクレーマーなどを見ると、つくづく暇なんだなぁ。とか考えてしまう。

最近では、セルフレジも増えてきて、「会計」という人間関係は薄れてきたように思えるし、今後テクノロジーによって、どこまで人間関係が希薄になっていくのだろう。と思うと、行きつけのお店での人間関係が以外と大事になりそうで、なんとも言えない感情になるのだけれど、今週は、そんな人間関係がもたらすストレスに、自分はどうやって対処しているのかを言葉にしてみようと思う。

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アニメで見る、「今を生きる姿勢」はカッコいい。

「結局、今を生きることが大切。」というのは、2週間前に書いたようなのだけれど、最近、アニメで「ルパン三世」を見て、「ルパン三世」のキャラクターはそれぞれ、生き様に芯があって、かつ、今を生きる姿勢がいつ見ても刺さるなぁ。と思っていたのだけれど、実際に、現代社会で生きていると、当然、嫌なことも起こってしまう。

嫌なことも積もれば山となりて、いずれは「怒る」ことに繋がると思うのだけれども、この、「嫌なこと」→「怒る」のレスポンスが早すぎるのもどうかと思う。たまに、野生動物ですか?みたいな早さで「怒り」の沸点に達する人もいるようだけれど、ちょっと理解に苦しむ。そういえば、「ルパン三世」の作中では、怒りに身を任せて行動することが少ないような…

実際に、怒りに身を任せて行動して、結果が良くなった試しなんてものは無い。というより、「感情に身を任せて行動して、結果が良くなること」なんてものは無いのだろう。

ということで、「アンガーマネジメント」は大切です!と声高に言われても、仏様では無いので、三度も待てるほど善人でもないわけですよ。もう、「ストレスを受け入れて生きていくしかないの?」とか、「もう、いっぱいいっぱいです!」ってなってストレスに押し潰されるのを黙って見ているわけにもいかないので、自分はどうしているのか。というと、そう。「川をイメージする」とめちゃくちゃ楽になったのが今週のハイライト。

川のせせらぎ動画に癒やされながら。

自然の音って癒やされるよね。

いや、ストレスをどう対処するのか。という話をしていて、「川をイメージ」ってどういうこと?とか、自然の音は癒やされるけれども、その動画を見てもストレスは流れていかないし!となるのも分かる。ということで、なぜ「川のイメージ」がストレス対策になったのかを書いていきます。

まず第一に、「嫌なこと」→「怒る」という、この一連の流れを、自分としては認めたくない訳なんですね。なぜなら、「感情に身を任せると良い結果にならない」から。

ということで、「嫌なこと」→「感情のゼロ地点」→「怒る?どうする?」という一連の流れを用意してみた。「感情のゼロ地点」って何?みたく思うだろうけれど、焦らないでもらいたい。

自分の中の「感情のゼロ地点」は、どちらかというと、「考えない」に近いような気がする。自分の性格上、若干、他人の顔色を伺いながら、時には、相手の感情を汲み取ってしまってストレスになることもあるから、「何も考えない。」この境地を大切にしてみると、案外、ストレスに対処出来るような気がする。

「何も考えない」この時には、起こる出来事全てに対して、「無感動」であることを心掛ける。『鬼滅の刃』で言うところの、時透無一郎をイメージするとわかりやすい。(←一番最初に出てきたタイミングね。)

「感情を表に出さない」のではなく、「起こる出来事全てに対して、何の感情も抱かないようにする」という、「感情のゼロ地点」、自分にとっては、ストレスをやり過ごすための最初の一歩なのだけれど、デメリットもある。それは、「確実に不機嫌だということが周りに伝わること。」ただし、自分は、「感情のゼロ地点」に身を置きたいので、その時だけは、そんなデメリットは考えないようにする。

そんな、命名、「感情のゼロ地点」なのだけれど、「感情のゼロ地点」に身を置いているうちに、「怒らなくてもいいんじゃない?面倒だし。」くらいに、感情を抑えられるような気がする。

「感情のゼロ地点」=「川のせせらぎ」

「感情のゼロ地点」をもう少し掘り下げてみようと思う。

この、「感情のゼロ地点」にいる時に、どんな感覚でいるのかというと、「周りで起こっていることに対して、考えることなく、時間に押し流されるような感覚。」と言って伝わるだろうか?

川の流れに身を任せて流されていくように(流れるプールのほうが分かりやすいかも)、「時間という流れに身を任せて、考えることを止める。」ただ、ひたすらに、「今、流れている瞬間だけ」に注意を向けて、「今という瞬間を終わらせる。」その連続をイメージする。この段落だけ見ると、ヤバい人みたいで嫌だけどw

そんなことを繰り返していると、「怒る」という行動自体が無駄のように思えてくる。

そう。結局、怒ったところで無駄。

なぜなら、他人は一切変わらない、変わろうとしないから。ましてや、怒った相手が、次の瞬間、自分の理想的な状態になることなんて絶対にありえないから。

本当に相手を変えたいのなら、「怒る」のではなく、別の方法を取るべきだけど、今は考えない。

「怒る」そんな無駄なことをしている余裕があるなら、自分を変えた方が余程良い。

「怒る」ことが無駄だと思うと、三人称視点では、「無駄」なことに時間を費やして暇なんだなぁ。と見ることが出来る。これが当事者になった時、「無駄なことに時間を費やす暇は無い」=「怒れる程暇じゃない」と置き換えることが出来たら、その場しのぎかもしれないけど、完璧なストレス対策!そう。まずは、その場をどうにか耐えることが大切。

後から考えた時に、「ストレスだったぁ」みたく、友達と笑いながら話せるなら、逆にそれが良い話題になったりする。

完璧にサンプル数1のケーススタディではあるけれど、こんなストレス対策もありだと思う。自分の中にストレスが残らなければ、良い対策が出来ている証拠だと思う。

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まとめ

「時間」は平等に、かつ残酷に流れていく。けれど、嫌なこととか、ストレスでどうにかなってしまいそうな時は、その「時間」を味方にして、流されていくのも悪くないのでは?ということでした。

「嫌なこと」が永遠と続くわけではない。「今」をどうにかやり過ごすことが出来れば上出来。ストレスがある時は、このくらいに考えておくのが丁度いい。

ストレスしかない現代社会。

ストレスに対して、うまく向き合って対処した自分を褒めるくらいの自分に対する優しさを持ち合わせながら、「嫌なこと」とも上手く付き合えると良いんだろうなぁ。

自分に対する優しさか。次週のテーマはこれだな。

今週は、「川の流れに身を任せる」のではなく、楽しみながら「今」と向き合えることを、ちょっとだけ期待したい。

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