先日、NewsPicks, Weekly OCHIAI を見る機会があったので、その内容について少し考えさせられたので、考えたことを綴ってみる。
元動画はこちら↓
結論
結論を先に書いてしまうと、当たり前にある幸せに慣れているのかもしれないよね。という話。
動画内では、日々生きていることが幸せで、そもそも幸せという単語もないとのこと。人が亡くなることと、牛が亡くなること以外は悲しくないのだそう。
色々なことを経験して、それが普通になると、その普通に慣れるということはよくある話。人によって普通は異なるかもしれないけれど、辛い環境でも、楽な環境でも、その環境が普通になってしまえば、慣れていく。むしろ慣れていかないと辛いし、生きていけない。それこそ大昔の動物や人類の祖先は、厳しい環境だったとしても、慣れなければ生存競争に勝てなかったはずなので、慣れることが当たり前なのだろう。
さて、今回のテーマである、”幸せ”に慣れるとはどういった状態なのだろうか。これもまた人によって異なるのが普通なのかもしれないけれど、きっと、新しい”何か”を欲しいと思っている状態は、現状や今ある幸せに慣れている状態の一つなのではと思う。
あまりに大きな物欲や欲は身を滅ぼすことは目に見えているし、大きな欲を持ちすぎて罪を犯す人も日々見受けられる。
今ある幸せ、つまるところ、今の自分が置かれている環境や境遇を見直すと、改めて幸せを見つけられそうな気がする。動画を見てそんな印象を受けました。
考察
さて、改めて細かく内容を見ていくと、アフリカのスリ族には、「幸せ」という単語が無いとのこと。
彼らからすると、今生きていること自体が「幸せ」であるということらしい。
「幸せ」という言葉がない」=普段から「幸せ」であるという考えを、深く掘り下げてみようと思う。
日本語を使って生きていると、言葉が豊富にあることを忘れがちになる。会話で言葉が出ないことはあるかもしれないけれど、似たような意味の言葉はかなり多いように思う。
例えば「幸せ」の類語を調べると、果報、幸運、多幸、僥倖、などなど。他にもたくさん結果が出てきます。
単語の量、つまり、語彙が豊かであるとされる日本語の特徴なのかもしれません。
さて、日本語の語彙、単語の量が多いとされる原因の一つには、方言が多様であることも挙げられるのではないだろうか。詳しく調べてはいないけれど、方言では、その地域の特徴や特色を表す言葉が多数存在する。雪の多い地域ならば、降っている雪の形状によって呼び方が異なったり。または、その場所で感じることのできる感覚を表したりなど。
言い方を変えると、日本人は感受性が豊かな国民性と捉えることもできる。あまり、日本人とひとくくりにまとめたいとは思わないけれど。
一方で、外来語の存在も忘れてはいけない。歴史的に考えると、織田信長がポルトガルから、当時の日本にはない多くのものを欲しがったところから始まるのだろうか?いや、稲作が伝わるというところから、日本は多くのものや考えを輸入しているのか。
もともと、海産物の資源は豊富かもしれないが、資源的にはそれほど恵まれているわけでもない日本は、何でも輸入して使う感覚があるのだろう。物も、言葉も、文化も。
ハロウィンとか無くても別に…いや、脱線するのでやめておきましょうw
そう。言葉を輸入する感覚の話。誰かが使っている知らない言葉を使いたくなる経験は誰にでもある。だから毎年、流行語大賞なんてもの、と言ったらちょっと棘があるかもしれないけれど、言葉は生み出され続ける。カナカナ語が増えたのも、海外に対する憧れか、または、英語ができるアピールか、はたまた、世界と同じレベルにいると思いたいのか。
うん。棘が針かナイフくらいに育ってきてしまったのでやめておこう。
話を戻して、「幸せ」の話。幸せを物でアピールすることもあれば、幸せそうなのにやたらと幸せを探してます、とか、今が一番幸せです(羨ましいでしょ)、みたいな。インスタ映えする写真を撮れる自分羨ましいでしょ。みたいなやつ。傍から見ると、「幸せ」という形のないものを欲しているのだなぁ。と感じる。欲求不満というと乱暴な言い方にも思えるけれど、認められたいんだなぁ。とは思う。
だからこそ、「幸せ」を外の世界、とか、他者に求めるよりも、今の自分に満足しようよ。といったメッセージが込められたあの動画に惹かれたのかもしれない。何より、自分を認めることが一番大切だと思う。それが一番難しいことでもあるけれど。
まとめ
さて、そろそろまとめようと思います。
生きているだけで「幸せ」という、スリ族の考えは、究極のミニマリストに近いものだと思う。
とりあえず、ミニマリストが良いかは置いておいて、今の自分に「幸せ」を見出す姿勢は大切だと思う。
現代社会、特に、資本主義社会に生きていると、自分より多くのものを持っている人なんて、そこら中にいるから、あの人には敵わないとか思うこともあるけれど、そんな環境だからこそ、今自分が持っている「幸せ」に目を向ける時間があってもいいような気がする。
そんな時間を取れたなら、意外と「幸せ」に囲まれて生活していることに気づくのかもしれない。
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